デジタル版「実験論語処世談」(57) / 渋沢栄一

8. 短所を譲らず長所を掩はず

たんしょをゆずらずちょうしょをおおわず

(57)-8

子曰。由之瑟。奚為於丘之門。門人不敬子路。子曰。由也。升堂矣未入於室也。【先進第十一】
(子曰く、由の瑟、奚ぞ丘の門に於てせん。門人子路を敬せず、子曰く、由や堂に升れり。未だ室に入らざる也。)
 此章は孔子が能く人の長所短所を見分けて短所を護らず、長所を掩はず、之れを導かれた事を説いたのである。瑟といふのは楽器(二十五絃琴)の名であるが、孔子は由(子路のこと)の人となりが剛強であるから其の気が自ら声音に発し、瑟を鼓するに北鄙殺伐の声があつて中和を得ないから、之を抑へて中和に進ましめようとして、嘗て子路を警めてお前の瑟は殺伐の気があつて、私の学問の中和を主とするに適して居らぬ。されば吾が門下に於てなすあるの材でないと言はれた。然るに門人等は此の言を聞いて、子路は孔子に斥けられたと思ひ子路を敬はぬやうになつたので、孔子は更に諸門弟に諭して、子路の学問は之れを譬ふれば既に表座敷に上つて居るのであるが、未だ奥座敷に至らぬまでの事である。即ち夙に正大公明の域に至つて居るけれども、唯だ深く精微の奥に入らぬのみである。であるから子路の学は固より尊敬しなければならぬ。決して軽んじてはならないと言はれたのである。孔子の人を論ずるのは極めて公平であつた事を知るに足るであらう。

全文ページで読む

デジタル版「実験論語処世談」(57) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.475-479
底本の記事タイトル:三三四 竜門雑誌 第四〇九号 大正一一年六月 : 実験論語処世談(第五十五《(七)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第409号(竜門社, 1922.06)
初出誌:『実業之世界』第18巻第11,12号(実業之世界社, 1921.11,12)