デジタル版「実験論語処世談」(57) / 渋沢栄一

6. 孔子人を見るの明あり

こうしひとをみるのめいあり

(57)-6

閔子侍側。誾誾如也。子路行行如也。冉有子貢侃侃如也。子楽。如由也不得其死然。【先進第十一】
(閔子側に侍す、誾誾如たり。子路行行如たり。冉有子貢侃侃如たり。子楽しむ。由の如きは其の死の然を得ざらむ。)
 之れは孔子が育英を楽しまるる事を記したものであつて、閔子騫は常に多く物を言はず、又他に仕へる事を望まず、而して清廉潔白な人物であつた。加ふるに徳行に於ても勝れ、顔回の次に数へられた位で孔子の信用も厚く「夫の人言はず、言へば必ず中ること有り」と論語にもある如くである。それで誾誾如たりと言はれた。子路は屡〻述べし如く、義に勇む剛強の性格の人、孔子能く之れを知られて居るから行行如たりと其特徴を挙げられた。冉有、子貢は能く練れた物和らかな人で、是又立派な人物である。
 斯くの如く各〻其の容貌気象は異つて居るけれども、孔子の側に侍する時は、皆英才であつて、之を教ふれば皆進むに足るを見て常に楽しまれたのである。只子路は活気に富み、義に勇み過ぎる嫌ひがあるを以て、孔子は其の剛強の為めに危難に罹りて、天寿を全うする事が出来ないやうな事はないかと心配されたのであるが、果して子路は後年衛国の乱の際、趙の兵に加つて戦死を遂げた。孔子は斯く人を見るの明があつた。此章は別に取り立てて現代に当て嵌める様な事はないが、育英の道に携はる人は玩味すべきである。

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デジタル版「実験論語処世談」(57) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.475-479
底本の記事タイトル:三三四 竜門雑誌 第四〇九号 大正一一年六月 : 実験論語処世談(第五十五《(七)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第409号(竜門社, 1922.06)
初出誌:『実業之世界』第18巻第11,12号(実業之世界社, 1921.11,12)