デジタル版「実験論語処世談」(57) / 渋沢栄一

7. 上に諛ふ士を戒む

かみにへつらうしをいましむ

(57)-7

魯人為長府。閔子騫曰。仍旧貫。如之何。何必改作。子曰。夫人不言。言必有中。【先進第十一】
(魯人長府を為る。閔子騫曰く。旧貫に仍る、之を如何。何ぞ必ずしも改め作らん。子曰く。夫の人言はず言へば必ず中ること有り。)
 魯の国の官吏が長府といふ貨財を蓄ふる蔵を改め作らうとした事があつた。閔子騫が之れを聞いて、それは御止めになつては如何ですか旧のままで何の差支へもありませんから、別に長府を改作するの必要は無いでせうと言つた。蓋し魯の官吏の長府を改作せんとするのは、聚斂して上を富まさんとするの計があることを推して居つた。それで閔子騫は諷して之れを止めたのである。孔子は後に此事を聞き、彼の閔子は寡言の人にて妄りに物を言はぬが、其の言へる事は必ず道理に当つて居ると言つて之れを称められた。之れが此章の大意である。
 旧幕時代には、代官といふものがあつて、自分の手柄にして栄達を計りたいが為めに、所謂苛斂誅求して領民を苦しむる者が尠くなかつた。領民の苦しさを知らぬ領主は、或は手腕家として悦ぶかも知れぬが、之が為めに領民は主をも恨むに至り、惹いては領主の徳をも傷くるに至るのである。現今では時勢も変り、法令も行き渡り、万々斯かる事の有る可き筈はないが、然し之れに似たやうな事はありはしないか。私は斯く斯くの事実があるとは指摘しませぬが、去りとて全然無いと言ふ事は出来ぬだらうと思ひます。

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デジタル版「実験論語処世談」(57) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.475-479
底本の記事タイトル:三三四 竜門雑誌 第四〇九号 大正一一年六月 : 実験論語処世談(第五十五《(七)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第409号(竜門社, 1922.06)
初出誌:『実業之世界』第18巻第11,12号(実業之世界社, 1921.11,12)