デジタル版「実験論語処世談」(57) / 渋沢栄一

5. 一身一家と国家社会

いっしんいっかとこっかしゃかい

(57)-5

季路問事鬼神。子曰。未能事人。焉能事鬼。敢問死。曰。未知生。焉知死。【先進第十一】
(季路鬼神に事へん事を問ふ。子曰く。未だ人に事ふること能はず焉ぞ能く鬼に事へんやと。敢て死を問ふ。曰く。未だ生を知らず。焉ぞ死を知らんや。)
 此の章は孔子が季路の問に答へられたものであるが、季路は元来少し突飛な性格を備へた人で、或時には頗る果断な処もあつた。「敝れたる縕袍を衣て、狐貉を衣たる者と立ちて恥ぢざる者は其れ由か」と曾て孔子が季路を褒められた事がある如く、美しい半面を有し、労働的仕事までして身を立てた人で、而かも孔門中の政事学者であつた。現に孔子が「政事には冉有、季路」と謂はれた位であるが、他の半面には血気に任せて事に処する欠点があつて、孔子が「道行はれず、桴に乗つて海に浮ばん。我に従はん者は其れ由か」と言はれた時に、季路が之れを聞いて喜んだので、孔子は更に「由や勇を好むこと我に過ぎたり、材を取る所無し」と誡められた事もある。
 季路はかういふ人であつたから、鬼神、即ち神様に仕ふるにはどうしたら宜しいでせうかと問うた処が、孔子は之に答へて、先づ人間に仕ふる道に完全でなければならぬ。而して後、神に仕ふる道を学ぶ可きである。未だ人に事ふるの道を充分に修めずして、どうして神に事へる道を知る事が出来ようぞと言はれた。季路更に死に処するの道を問うた。孔子言ふには、未だ生存して世に処するの道、即ち君父に事へ、世間の人々に接し、妻子を養ふの道を知らないで、死に処するの道を問ふのは間違つて居ると誡められた。空想に流れず、常に卑近な実行的な事を主として説かれてゐる事が、此の短い章句にもよく知る事が出来る。
 今の青年の全部とは謂はぬが、概して空想的な青年が多い様に思はれる。而して今の空想的青年は一向一身の治まりもなく、而して一国のこと、世界のことを論じ、又一家をさへ治めることが出来ずして、社会政策のことに馳せ廻つてゐる人もある。中には社会政策の為めに奔走努力するといふ本人が、却て社会政策の厄介になつてゐる様な人が沢山居る。現に私の処へも斯の様な人の来訪が尠くない。之は要するに半知半解の西洋の学問に中毒した為めである。一国のこと、世界のことを論ずるもよい、社会政策に奔走するもよい、決して悪いとは言はぬが、先づ一身一家を治むる事が肝要である。一身一家を治むる事が出来ずして、国家社会の為めに尽さんとするのは、本末を顛倒してゐると謂はなければならぬ。若し斯くの如き現状を孔子をして言はしめたならば、果してどう評せられるであらうか、恐らく季路に答へられた以上の訓言が出るであらうと思ふ。

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デジタル版「実験論語処世談」(57) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.475-479
底本の記事タイトル:三三四 竜門雑誌 第四〇九号 大正一一年六月 : 実験論語処世談(第五十五《(七)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第409号(竜門社, 1922.06)
初出誌:『実業之世界』第18巻第11,12号(実業之世界社, 1921.11,12)