デジタル版「実験論語処世談」(57) / 渋沢栄一

3. 掬すべき師弟の情愛

きくすべきしていのじょうあい

(57)-3

顔淵死。子哭之慟。従者曰。子慟矣。曰。有慟干[乎]。非夫人之為慟而誰為。【先進第十一】
(顔淵死す。子之を哭して慟す。従者曰く。子慟せりと。曰く、慟すること有るか、夫《か》の人の為に慟するに非ずして誰が為にせん。)
 顔淵の死んだ時、孔子其の家に往き泣き悲しまれた。従ひ行つた門弟が之れを見て、師は慟せられたと注意したるに、孔子は門弟を顧みて「さうであつたか」と言ひ、更に語を継いで言はれるには「顔回の為めに泣き崩れなかつたならば誰の為めに悲しまんや」と言はれた。蓋し顔回の死は孔子の道を伝ふ可き者を失つたので、深く之れを惜しまれた為めに外ならぬが、之れは取り立てて現代に当て嵌めて申し上げる程の事はない。只、師弟の情愛は現今でもかうありたいものと思ふ。一面から言へば、現代の社会組織、教育組織が全然違つて居るといふ関係もあるが、師弟の情愛は段々薄々しくなつて行くやうに思はれる。敢て絶無とは申さぬが、大体の傾向から言へば此の事実は拒まれぬ事と思ふ。人の師たる者も此点に就ては大に反省すべきではあるまいか。

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デジタル版「実験論語処世談」(57) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.475-479
底本の記事タイトル:三三四 竜門雑誌 第四〇九号 大正一一年六月 : 実験論語処世談(第五十五《(七)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第409号(竜門社, 1922.06)
初出誌:『実業之世界』第18巻第11,12号(実業之世界社, 1921.11,12)