デジタル版「実験論語処世談」 理財と道徳(54) / 渋沢栄一

『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.453-455

子曰。語之而不惰者。其回也与。【子罕第九】
(子曰く。之に語《つ》げて而して惰たらざる者は、其れ回か。)
 此の語げるといふのは道を教ふるといふ意味があつて、孔子が群弟子に道を説くに当つて、之を完全に理解するのみならず、又、能く之を実行して少しも違ふ事のないのは顔回のみであると他の弟子を励まされたのである。当時、群弟子の中には、聖言を聞くも其の意を解し得ない者があり、又、其の意を解し得るも、実行に勖めない者があるので、折に触れて夫子が訓戒されたのである。
 之は現代に当て嵌めて見ても適切な訓戒であると思ふ。総じて今の人々は理解力はあるけれども、実行が之に伴はぬ憾みがある。如何に道を知つて居つても、之を実行するに非ずんば何の権威もなく、寧ろ学ばざるに如かずである。私は固より欠点の多い人間であるが、自分の善いと信じた事は必ず之を実行する様に心掛けて居る。現代の青年子弟も上滑りの学問のみに満足せず、是非実行に力めなければならぬと思ふ。
子謂顔淵曰。惜乎。吾見其進也。未見其止也。【子罕第九】
(子顔淵を謂ひて曰く。惜いかな。吾れ其の進むを見る。未だ其の止るを見ず。)
 此の章は、孔子が其の高弟顔回の死後、哀惜の情を洩らしたのであつて、「顔回の存生中は、其の徳の日に月に進むを見るのみで、未だ曾て其の惰り止まるを見た事がなかつた」と謂はれたのであるが、言外に、若し之を死なしめなかつたならば、必ずや聖人の域に入つたであらうとの余意が含まれてゐる。
 此の進むを見るのみにして其の止むを見ざるの行ひは、独り顔淵ばかりでなく、人の本性でありたいものである。此の進むといふ事は、所謂進歩といふ意味であつて、啻に同じ道を真直に進む許りが進歩でなく、考へ違ひを思ひ返して、新たに別の善良な道に向ふのも矢張り進むである。例へば、私は其の青年時代に於て攘夷を唱へたのであつたが、後之を改めて通商貿易論者となつた。之なども止まるに非ずして矢張り進歩である。元来孔孟の道徳は、決して局限されたる狭い範囲のものでは[な]く、一般人の日常生活に触れて居る実際的のものであるが、後人が孔孟の道徳と理財とは全く相反する様に説いた。之は漢以来の人の説いた言であつて、日本でも漢学者といへば殆んど悉く世事に疎いものであつたのも、此の流れを汲んだ為めである。彼の山鹿甚五右衛門[山鹿甚吾左衛門]が聖教要録を著して、因襲に囚はれたる従来の道学者の説を論破した為め、林家から異端であるとされ、遂に赤穂に流謫さるるに至つた程、夫れ程旧来の道学者は旧弊であつたのである。
 併しながら孔孟の道徳は、旧来の漢学者の説く如く、世事と没交渉なものではない。道徳と生産殖利とは一致して居るのである。今日斯くの如き解釈を下す様になつたのは、山鹿先生を異端者扱ひにした当時の漢学者から見れば、邪道に入つたと評するであらう。然し之が進歩である。同じ真直な道ならば其の一路を辿るのが進歩であるけれども、若しそれが間違つて居つた場合、右の途を左に替へる事は決して止まるでなく、同じく進歩である。
 今日、欧米の新しい思想が盛んに我が国に取り入れられて居るが、之は誠に結構な事ではあるけれども、能く之を玩味して、果して之が我が国体に合するか、将た国民性に適するかを知つた上で、其の合適するもののみを咀嚼の上消化する様にして取り入れなければならぬ。或は「此の世界は自己の為めの世界である」とか、又「吾が性の儘に働けば他人の事は考へなくてもよい」といふ説などは、宜しくない泰西思想であると思ふ。私は勿論あらゆるものの進歩を望むものであるが、説の善悪を能く鑑別するの必要であることを、特に海外思潮の流入の盛んとなりつつある現代の人々に注意したいと思ふ。
子曰。苗而不秀者有矣夫。秀而不実者有矣夫。【子罕第九】
(子曰く。苗にして秀でざる者有りや。秀でて実らざる者有りや。)
 之は苗に譬を引いて、学業を成就する者少きを歎じ、途中挫折する事なき様にしなければならぬ、と訓へられたのである。秀は華を吐く事で、即ち「稲の苗が成長して、花の咲かぬものがあらうか、花が咲いて穀を成さぬものがあらうか」と言はれたのであるが、此の比喩は「植物でも苗が成長して花咲き実を結ぶと同じく、学に志す人間も、倦まず惰らず勉強して止まざれば、遂に聖賢の材となり、君相を輔けて仁政を施し、民を救ふに至る可きに、中途にして学を廃する者の多いのは、誠に遺憾千万である」と且つ慨歎し、且つ奨励せられたのである。
 此の章句は直ちに取つて以て現代に当て嵌める事が出来ると思ふ。何事でも、倦まず惰らず勉めて止まずんば、必ず事を成就するに至るものであるが、多くの人は途中の障碍に挫折して了ふ。こんな決心の鈍い事では何事も成し遂げられるものではない。心すべきである。
子曰。後生可畏。焉知来者之不如今也。四十五十而無聞焉。斯亦不足畏也已。【子罕第九】
(子曰く。後生畏る可し。焉んぞ来者の今に如かざるを知らん。四十五十にして而して聞ゆること無きは、斯れ亦畏るるに足らざるのみ。)
 後生とは後進といふ事であつて、此の章は即ち「後進の年少者は畏る可き者である。後進の士は年も若く気力も旺盛であるから、学を積み行ひを修めて進んで止まなければ、其の将来は測り知る可らずである。されば今後出で来る者が現在の人に及ばずと定むることは出来ない。然しながら四十歳五十歳となつても一向に名声の聞ゆることのない人であるならば、終に成業せざる凡庸の人であるから、是又畏るるに足らぬ」と、門弟子を且つ訓戒し且つ奨励されたのである。
 此の章句は孔子が相当の齢になつてから言はれたものらしく、初め「後生可畏」と推称され、後に「不足畏」と之を抑へられた処に深い教訓が含まれて居る。兎角老人になると過去をのみ顧み其の感想を語る弊が多い。卑近な例を挙げると、昔の力士は大きかつたとか、昔の役者は今の役者より上手であつたとかいふ事は、能く耳にする処である。之に反し、若い人は過去が少い故、未来許りを説く、其の未来あるが為に勉めて止まなければ名を成すに至るのである。世の中の人が過去のみを顧み、後進を軽んじて居つては世の中の進歩に伴はなくなる。之と共に後進者が其の少壮の時に於て勉励しなかつたならば、後来名を成し、世の中を進むる事が出来ない。されば青年も、老人も相顧みて誤りに陥らぬ様にありたいと思ふ。
 私の旧くからの知友其他に就て見るも、「もつと発達してもよい」と思ふ様な人で碌々としてゐるのがある。夫等の人々の噂を聞いて見ると、大抵は努力が足らぬ為めである。されば孔子の此の章句と想ひ合せて、実に味ひのある言であると熟〻感ずるのである。
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.453-455
底本の記事タイトル:三二五 竜門雑誌 第四〇四号 大正一一年一月 : 実験論語処世談 理財と道徳(第五十二《(四)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第404号(竜門社, 1922.01)
初出誌:『実業之世界』第18巻第5号(実業之世界社, 1921.05)