デジタル版「実験論語処世談」 理財と道徳(54) / 渋沢栄一

3. [進歩は大に望むが善悪を鑑別せよ]

しんぽはおおいにのぞむがぜんあくをかんべつせよ

(54)-3

 併しながら孔孟の道徳は、旧来の漢学者の説く如く、世事と没交渉なものではない。道徳と生産殖利とは一致して居るのである。今日斯くの如き解釈を下す様になつたのは、山鹿先生を異端者扱ひにした当時の漢学者から見れば、邪道に入つたと評するであらう。然し之が進歩である。同じ真直な道ならば其の一路を辿るのが進歩であるけれども、若しそれが間違つて居つた場合、右の途を左に替へる事は決して止まるでなく、同じく進歩である。
 今日、欧米の新しい思想が盛んに我が国に取り入れられて居るが、之は誠に結構な事ではあるけれども、能く之を玩味して、果して之が我が国体に合するか、将た国民性に適するかを知つた上で、其の合適するもののみを咀嚼の上消化する様にして取り入れなければならぬ。或は「此の世界は自己の為めの世界である」とか、又「吾が性の儘に働けば他人の事は考へなくてもよい」といふ説などは、宜しくない泰西思想であると思ふ。私は勿論あらゆるものの進歩を望むものであるが、説の善悪を能く鑑別するの必要であることを、特に海外思潮の流入の盛んとなりつつある現代の人々に注意したいと思ふ。

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キーワード
進歩, 望む, 善悪, 鑑別
デジタル版「実験論語処世談」 理財と道徳(54) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.453-455
底本の記事タイトル:三二五 竜門雑誌 第四〇四号 大正一一年一月 : 実験論語処世談 理財と道徳(第五十二《(四)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第404号(竜門社, 1922.01)
初出誌:『実業之世界』第18巻第5号(実業之世界社, 1921.05)