デジタル版「実験論語処世談」 理財と道徳(54) / 渋沢栄一

2. [孔孟の道徳と理財とは相反せず]

こうもうのどうとくとりざいとはあいはんせず

(54)-2

子謂顔淵曰。惜乎。吾見其進也。未見其止也。【子罕第九】
(子顔淵を謂ひて曰く。惜いかな。吾れ其の進むを見る。未だ其の止るを見ず。)
 此の章は、孔子が其の高弟顔回の死後、哀惜の情を洩らしたのであつて、「顔回の存生中は、其の徳の日に月に進むを見るのみで、未だ曾て其の惰り止まるを見た事がなかつた」と謂はれたのであるが、言外に、若し之を死なしめなかつたならば、必ずや聖人の域に入つたであらうとの余意が含まれてゐる。
 此の進むを見るのみにして其の止むを見ざるの行ひは、独り顔淵ばかりでなく、人の本性でありたいものである。此の進むといふ事は、所謂進歩といふ意味であつて、啻に同じ道を真直に進む許りが進歩でなく、考へ違ひを思ひ返して、新たに別の善良な道に向ふのも矢張り進むである。例へば、私は其の青年時代に於て攘夷を唱へたのであつたが、後之を改めて通商貿易論者となつた。之なども止まるに非ずして矢張り進歩である。元来孔孟の道徳は、決して局限されたる狭い範囲のものでは[な]く、一般人の日常生活に触れて居る実際的のものであるが、後人が孔孟の道徳と理財とは全く相反する様に説いた。之は漢以来の人の説いた言であつて、日本でも漢学者といへば殆んど悉く世事に疎いものであつたのも、此の流れを汲んだ為めである。彼の山鹿甚五右衛門[山鹿甚吾左衛門]が聖教要録を著して、因襲に囚はれたる従来の道学者の説を論破した為め、林家から異端であるとされ、遂に赤穂に流謫さるるに至つた程、夫れ程旧来の道学者は旧弊であつたのである。

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デジタル版「実験論語処世談」 理財と道徳(54) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.453-455
底本の記事タイトル:三二五 竜門雑誌 第四〇四号 大正一一年一月 : 実験論語処世談 理財と道徳(第五十二《(四)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第404号(竜門社, 1922.01)
初出誌:『実業之世界』第18巻第5号(実業之世界社, 1921.05)