デジタル版「実験論語処世談」(45) / 渋沢栄一

『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.347-348

子。温而厲。威而不猛。恭而安。【述而第七】
(子、温にして厲《はげ》しく、威あつて猛からず、恭にして安し。)
 茲に掲げた章句は、孔夫子の容貌を弟子たちが批評して、感服の余り発した語で、孔夫子は一見温和の如くに見えたが、何処にか厲にして厳粛なるところがあり、さうかと謂つて威厳のみに流れず、猛からぬ優しいところもあり、又如何に優しく恭敬な処があつたからとてこせこせしたところがなく、至つて落付いて居られたといふにある。兎角人間は温和な人だとなると女々しく成つたり、威厳を貴ぶ人だと威張り勝に流れたり、恭敬の態度を持する人だとなるとこせ付くやうに成り勝のものだが、孔夫子には爾んな一方に偏するやうな処が無く、外形の極端に走らんとするところは、心の作用を以て之を調節し、巧に中庸を保つて居られたのである。此頃の若い青年たちは心と行ひとの違ふのを、一概に「偽善」と称し、人は偽善に陥らぬやう心のままに行ふべきものであるなんかと説くが、それは飛んでも無い誤解で、恰も各種の金属を集めて作つた時計の振子は、如何に寒暖の変化があつても各種金属の異つた膨脹率によつて自づと調節せられ、毫も其間に狂ひを生ぜぬに至るのと同じやうに、人も内部の心理作用と外形の行為とで更に調節し合ひ、孰れか一方の極端に走るのを抑制することに致せば、円満な常識に富んだ人物と成り得らるるものだ。私の是れまで知つてる人物では、木戸さんなんかが、温にして厲、慶喜公なんか恭にして安といふ人物であつたらうと思ふ。
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.347-348
底本の記事タイトル:二八五 竜門雑誌 第三七一号 大正八年四月 : 実験論語処世談(第四十五回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第371号(竜門社, 1919.04)
初出誌:『実業之世界』第16巻第4号(実業之世界社, 1919.04)