デジタル版「実験論語処世談」[26a](補遺) / 渋沢栄一

3. 古河市兵衛の人物

ふるかわいちべいのじんぶつ

[26a]-3

 古河市兵衛は、元来学問の無い無学の人であつたから、余り高い見識の無かつたもので、何事を観るにも、低い立場に立つて観るを例とし、官尊民卑の思想が性根に浸み込んで、死ぬまで官尊民卑の思想が抜けきらず、官吏に対しては御辞儀ばかりして暮してたものである。この点は私なぞと大に所見を異にしたものだが、珍らしく正直で誠実なところのあつた人だから、部下にも、孝悌の心の厚い人々を寄せ集めて使用つたものである。今日でも猶ほ古河家に残つている者は、皆な孝悌の心の厚い正直な人々で、勝手気儘に無茶苦茶な事をするやうな者は一人も無い。これ等の人々とは、私も今以て猶ほ引続き交際して居る。
 私と古河市兵衛とが相知るに至つたのは、明治七年頃からで、当時私は第一国立銀行を経営して居つたのだが、古河は第一銀行の大株主であつた小野組の米穀部と鉱山部とを支配し、その番頭を勤めて居つたのである。
 然るに、小野組は余りに事業を拡張し過ぎた結果、明治七年に突然破産してしまつたのものだから小野組に百数十万円を貸して居つた第一銀行は、為に非常な影響を受けて、大損害を蒙らんとしたのである。殊に、米穀部及び鉱山部に対しては、私が古河を信ずるの余り、無抵当で巨額の資金を貸付てあつたので、若し古河が少し不正直な人間で、幸ひ抵当を銀行に提供して居らぬのを奇貨措くべしとし、総て履み倒されでもしてしまつたら、第一銀行も亦、小野組と一緒に倒れて終はねばならなかつたのだが、そこは古河が正直な人間であつたものだから、小野組の各倉庫に当時現存せる米穀全部及び小野組所有の鉱山悉くを挙げて第一銀行に提供し、些も隠匿するやうな事をしなかつたのである。これによつて第一銀行は毫も損害を蒙らず、幸に無事なるを得たが、小野組の破産した時に古河は、自分の給料も多年拮据して溜めた貯金も、総て皆な之を主家の負債償却資金のうちに繰り入れ、一銭一厘も私するやうな事無く、一枚の着換さへ無き着の身着のまゝで主家と別れて出たものだ。是処が古河の豪らかつたところで、又私も其処を見込んで古河を信用し、無抵当で巨額の資金を融通したのである。古河は私が同人を信用して無抵当で貸付けたのを奇貨にし、第一銀行に迷惑を懸けるやうな不始末をしては、恩に酬ゆるに讐を以てするものであるからとて、斯く自分の貯金までも一厘残らず投げ出して、第一銀行に対する負債を償却したのである。
 明治七年褌一貫で小野組を出た古河は、其後杳として消息を絶つて居つたが、約二年ばかり経つてからの明治九年頃、一日飄然私のところへ訪ねて来て、北海道で鉱山業を経営てみたいから、資本を五万円ばかり貸してくれとの事であつたのである。私は古河を深く信じて居つたものだから、当時の五万円は昨今と違ひ、可なりの大金であつたが快く貸与し、古河は之によつて多少の利益を挙げ、更に足尾銅山を経営したいといふので、古河と相馬と私との等分出資により、明治十二年十万円の合資会社を組織し、足尾銅山を古河にやらせることにしたのである。然るに、明治廿四年に到り、古河は単独で経営したいからと申し出で、私とても営利の為に出資したわけで無く唯古河を助けたい為に出資したのであるから悦んで其の申出でに同意し、爾来足尾銅山は古河一家の経営に移り、以て今日に至つたのだが、古河は鉱山の事に関し殆んど神の如き智能があつて、その観るところに些かも過誤の無かつたものだ。曾つて、私は古河に案内されて、足尾銅山の坑の中を検分した事がある。その時に古河は職工の着るやうな衣物を着て私の先頭に立ち、鉱脈のことなぞ委細説明したが、私は素人の事とて唯聴くのみで何も解らなかつたにも拘らず、古河の鉱山に関する知識が如何にも豊富で、足尾銅山内の事ならば恰も掌を指す如く何んでも知つて居るのに驚き、坑を出てから斯の旨を古河に話すと、古河は「それは別に不思議は無い。貴下が銀行の事に詳しいのと同じで、人は皆な商売によつて賢いものです」などゝ笑つたこともある。(青柳生憶記)

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古河市兵衛, 人物
デジタル版「実験論語処世談」[26a](補遺) / 渋沢栄一
底本(初出誌):『実業之世界』第14巻第11号(実業之世界社, 1917.06.01)p.70-73
底本の記事タイトル:実験論語処世談 第四十九回 岩崎弥太郎と古河市兵衛 / 男爵渋沢栄一