デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.6.13

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

2章 交通
1節 海運
1款 東京風帆船会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治13年8月10日
(1880年)
第8巻 p.5-36(DK080001k)
是ヨリ先栄一、益田孝等ト謀リ風帆船会社ノ設立ニ努ム。是日、遠武秀行ヲ社長トシテ創立ヲ出願シ、翌十四年一月営業ヲ開始ス。栄一陰ニ尽力スル所多シ。
2款 共同運輸会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治15年7月14日
(1882年)
第8巻 p.37-80(DK080002k)
是ヨリ先、東京風帆船会社・北海道運輸会社・越中風帆船会社各各政府ニ資金ノ貸与ヲ請願ス。然ルニ政府ハ各社ニ合併セル一大汽船会社ノ創立ヲ勧諭セリ。仍テ共同運輸会社ノ創立ヲ目論ム。栄一亦該社創立発起人ト為ル。是日、農商務大輔品川弥二郎発起人総代ヲ同省ニ召集シ、該社設立ヲ允許シ、更ニ同月二十六日命令書ヲ達ス。斯クノ如ク該社ハ政府ノ特許ニ拠リ創立セラレタルモノニシテ、其目的兵商二途ノ趣旨ニ出デ、資本金六百万円、其中二百六十万円ヲ政府ニ於テ引受ケ、年二分ノ配当ヲ受クベキ特典ヲ与ヘラル。
明治16年1月1日
(1883年)
第8巻 p.80-104(DK080003k)
是日東京風帆船会社・北海道運輸会社・越中風帆船会社ノ三社共同運輸会社ニ合併シ、同社開業ス。栄一常ニ会社背後ニ在リテ之ヲ援助ス。然ルニ翌十七年ニ入ルヤ郵便滊船三菱会社トノ間ニ競争ヲ生ジ、漸次熾烈ヲ加フルニ到ル。
明治18年8月15日
(1885年)
第8巻 p.104-125(DK080004k)
共同運輸会社ト三菱会社ノ角逐ハ双方多大ノ損失ヲ招キ竟ニ疲斃ノ憂ヲ生ズ。之ガ為メ政府共同運輸会社正副社長ノ更迭ヲ断行シテ局面収拾ヲ策シ、尋デ両社合併ノ外途無キヲ看取スルヤ、之ヲ両社ニ内諭ス。然ルニ三菱会社側之ヲ諒トスルモ、栄一外共同運輸会社側ノ取締役若干名ハ初メ反対ヲ唱ヘシガ、ヤガテ翻意シテ政府ノ勧諭ニ従フ。乃チ是日共同運輸会社臨時株主総会ヲ招集シ、三菱会社ト合併セル新汽船会社ノ設立ヲ決議ス。
3款 日本郵船株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治18年10月1日
(1885年)
第8巻 p.126-151(DK080005k)
共同運輸会社・郵便汽船三菱会社合併シ、新ニ日本郵船会社ヲ設立スルコトトナリ、是年九月二十五日創立委員森岡昌純等ヨリ創立願書ヲ農商務卿西郷従道ニ提出ス。軈テ許可ト同時ニ命令書下附セラレ、是日営業ヲ開始ス。栄一株主タリ。
明治26年11月7日
(1893年)
第8巻 p.151-168(DK080006k)
是ヨリ先、栄一印度棉花輸入ニ関シ孟買定期航路開設ノ意アリ。印度タタ・エンド・サンス商会、大日本紡績聯合会、日本郵船会社ノ間ニ斡旋シテ契約ヲ了シ、是日第一船広島丸孟買ニ向ケ神戸港ヲ出港ス。
明治26年12月1日
(1893年)
第8巻 p.168-184(DK080007k)
是年七月一日ヨリ我商法施行セラレタルニ依リ、同会社其組織ヲ改メントシ、定款改正ノ審議及ビ重役ノ選定ヲ為ス。栄一亦之ニ参与ス。是日臨時株主総会ヲ開キ定款ヲ議定シ、新定款ニ従ヒ取締役並ニ監査役ヲ選任セシガ、栄一取締役ニ当選セリ。
明治27年3月6日
(1894年)
第8巻 p.184-213(DK080008k)
是ヨリ先、孟買航路ノ開設ハ彼阿汽船会社ニ衝撃ヲ与エ、彼阿汽船社及ビ同盟汽船会社二社ハ栄一ニ説イテ大日本紡績聯合会ト、タタ・エンド・サンス商会ノ間ヲ割キ、以ツテ同会社ノ同航路就船ヲ妨ゲントス。栄一ソノ申出ヲ退ケ、該航路ヲ維持セントシテ同会社ト大日本紡績聯合会ノ締約ヲ堅固ニスベク是日追加約定書ノ調印ヲ了ス。
カクテ彼阿汽船会社トノ競争激化シ、後二十八年ニ至リ、タタ・エンド・サンス商会トノ契約ハ解除セラレタルモ、彼阿汽船会社トノ競争ハ止マズ、二十八年十一月ニ至ツテ彼阿汽船会社ハ遂ニ我外務省ニ調停ヲ申請スルニ至ル。同会社マタ欧洲航路開設ノ計画アリ、当時日英国交上ノ重大性ニ鑑ミテ之ヲ受諾シ、二十九年五月、運賃合同計算契約ヲ締結シ七月一日ヨリ実施ス。
明治29年3月15日
(1896年)
第8巻 p.213-236(DK080009k)
同会社日清戦争後海外航路開発ノ輿論ニ応ヘ、欧・米・濠ノ三大航路ヲ開設セントス。是日先ヅ欧洲航路第一船土佐丸横浜港ヲ出帆ス。尋デ、此年八月米国航路及ビ十月濠洲航路ヲ開始ス。是ヨリ先、第八回帝国議会ハ航路拡張・船舶保護ノ建議案ヲ可決シ、東京商業会議所亦海運振張ノ方法ニ付建議書ヲ政府ニ提出シ、尚是月航海奨励法ノ発布アリテ此気運ヲ助長スル所アリタリ。栄一同会社取締役並ニ東京商業会議所会頭トシテ尽力スル所多シ。
明治32年1月24日
(1899年)
第8巻 p.237-242(DK080010k)
是ヨリ先、日本郵船会社特定航路ニ関シ大隈伯・山県侯ニ乞フトコロアリシガ、是日栄一芳川逓信大臣ニ面会、同会社欧米特定航路命令ニツキ頼願ス。後、屡々同会社重役会ニ出席、同問題ニツキ議ス。三月第十三帝国議会ニ於テ特定航路助成金法案成立シ、七月十日ニ至リ同会社欧米航路ハ特定航路トシテ助成金交附ノ命ニ接ス。
明治36年10月24日
(1903年)
第8巻 p.242-251(DK080011k)
是ヨリ先、日露両国間ノ風雲急ナルニ鑑ミ、時ノ参謀本部次長児玉源太郎ハ政略上栄一及ビ同社社長近藤廉平等ト種種懇談スル所アリ。是日同会社ハ近藤社長ノ名ニ於テ一書ヲ逓信大臣ニ提出シ、開戦ニ到ラバ奮励報国スルノ至誠ヲ披瀝ス
明治42年6月6日
(1909年)
第8巻 p.252-254(DK080012k)
是年古稀ニ渉ルヲ以テ、第一銀行他少数ノ関係ヲ除キ、諸事業ヨリノ引退ヲ決意シ、是日同会社取締役ヲ辞ス。
4款 浅野回漕部・東洋汽船株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治20年4月
(1887年)
第8巻 p.255-258(DK080013k)
浅野総一郎浅野回漕部ヲ創立ス。栄一之ヲ援助ス。
明治29年4月25日
(1896年)
第8巻 p.258-267(DK080014k)
栄一、浅野総一郎外三十二名ト共ニ、我邦ト独・米・露間ノ三大海外定期航路ヲ開設スルノ目的ヲ以テ、東洋汽船株式会社創立ヲ発起シ、是日発起人総会ニ於テ創立委員ニ選バレ、後、創立委員長トナル。マタ大東汽船ノ合併ニモ与ル。
明治29年6月2日
(1896年)
第8巻 p.267-284(DK080015k)
是日、東洋汽船株式会社創業総会開カレ、栄一ソノ議事ヲ宰ス。又監査役ニ選バル。尋イデ七月浅野総一郎渡米送別会ニ於テ挨拶ス。
明治33年3月22日
(1900年)
第8巻 p.284-285(DK080016k)
是日開催サレタル同会社株主総会ニ於テ、栄一監査役ヲ辞任ス。
5款 日清汽船株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治40年2月13日
(1907年)
第8巻 p.286-289(DK080017k)
栄一外十一名、政府ヨリ日清汽船株式会社創立委員ニ依嘱サレ、是日第一回創立委員会ヲ開ク。栄一委員長ニ推サル。
明治40年3月25日
(1907年)
第8巻 p.289-317(DK080018k)
是日同会社創立総会ヲ開ク。栄一議長席ニ着キ創立ニ関スル諸報告ヲ為シ、尋イデ取締役及監査役ヲ選出ス。栄一取締役ニ当選ス。同会社ハ四月一日ヨリ営業ヲ開始ス。
明治42年6月6日
(1909年)
第8巻 p.317(DK080019k)
是年古稀ニ渉ルヲ以テ、第一銀行他少数ノ関係ヲ除キ、諸事業ヨリノ引退ヲ決意シ、是日同会社取締役ヲ辞ス。
6款 日本汽船株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治40年2月2日
(1907年)
第8巻 p.318-345(DK080020k)
同会社創立発起人ト為リ、是日開カレタル創立発起人総会ニ於テ創立委員長ニ推挙サル。爾来屡々創立委員会ヲ開催シ設立ニ関スル協議ヲ重ネタレドモ、時恰モ経済界不況ニ際会シ、遂ニ会社成立ニ到ラズシテ十一月六日設立廃止ニ決ス。
7款 東京湾汽船株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治22年10月14日
(1889年)
第8巻 p.346-356(DK080021k)
是日東京平野汽船組合・第二房州汽船会社・三浦汽船会社及内国通運会社ヲ合併シ、東京湾汽船株式会社創立サル。栄一株主ト為ル。
2節 鉄道
1款 東京鉄道組合
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治8年3月27日
(1875年)
第8巻 p.357-372(DK080022k)
是ヨリ先、麝香間同列ノ華族相謀リ鉄道組合ヲ組織シ東京青森間ニ鉄道ヲ建設セン事ヲ計画シ、其規則方法ノ立案ヲ栄一及前島密ニ依嘱ス。草案成リ是日第一回会議ヲ開ク。尋イデ第二回第三回会議ヲ重ネ第一次着手里程ヲ宇都宮迄トシ、建設工事方ハ高島嘉右衛門ニ依嘱セリ。
明治8年4月23日
(1875年)
第8巻 p.372-378(DK080023k)
是日第四回会議ヲ開ク。井上馨・栄一ト共ニ之ニ臨席シテ陸羽鉄道建設ノ目的ヲ変更シ、新橋横浜間官設鉄道ノ払下ヲ受クベキ事ヲ勧ム。直ニ衆議之ヲ容ル。
明治8年5月8日
(1875年)
第8巻 p.378-398(DK080024k)
第五回会議ニ於テ鉄道会社発起華族等、栄一ヲ鉄道払下ニ関スル総理代人ニ推シ事務ヲ一任セントセシガ、栄一之ガ受諾ニ先立チ、是日鉄道払下見込書ヲ提示シテ協同履約ヲ求メ其盟約書ヲ得、六月十九日始メテ、代価三百万円七ケ年賦上納、之ニ年七朱ノ利子ニテ京浜間官設鉄道ヲ払下ゲラレン事ヲ太政大臣三条実美ニ出願ス。
明治8年10月31日
(1875年)
第8巻 p.398-409(DK080025k)
曩ニ東京府ヘ進達セル京浜間官設鉄道払下願書ニ対シ府知事大久保一翁ヨリ払下代価三百万円ヲ六ケ年賦ニテ上納スベク之ニ年六朱ノ利子ヲ交附スル旨達セラル。然ルニ其趣旨前願ト逕庭アルヲ以テ栄一再上申書案ヲ草シ衆議ニ問ヒ、是日願書ヲ呈ス。之ニ対シ利子ノ儀ハ最前ノ通年六朱、据置期間ハ願ノ通七ケ年賦ニテ聞届ク旨達セラル。
明治8年12月14日
(1875年)
第8巻 p.409-411(DK080026k)
是日鉄道組合第十二回会議ヲ開キ、鉄道払下ニ関シ必要ナル諸条項ヲ議定ス。乃チ同組合ヲ東京鉄道会社ト称シ、政府及第一国立銀行トノ間ニ取極ムベキ約定書或ハ申合規則等議定ノ書類ハ栄一ニ其草案作成ヲ托ス。
明治8年12月23日
(1875年)
第8巻 p.412-413(DK080027k)
鉄道組合曩ニ官ニ請ヘル京浜間鉄道払下ノ聴許ヲ得タルヲ以テ、是日築地精養軒ニ祝賀ノ筵ヲ催ス。栄一及井上馨・前島密亦列席シ、栄一答辞ヲ述ブ。
明治9年2月18日
(1876年)
第8巻 p.413-421(DK080028k)
是日及三月三日前会決議ノ諸草案出来ニ付第十三回・第十四回会議ヲ開ク。栄一之等ヲ示シテ衆議ニ附ス。乃チ先ヅ会議規則並ニ肝煎権限議定書ヲ審議決定シ、尚栄一ヲ議場会頭ニ撰ビ蜂須賀茂韶代理小室信夫・池田慶徳・伊達宗城ヲ肝煎ト為ス。又東京鉄道会社ヲ開業ノ日迄組合ト呼称スルニ改ム。
明治9年3月8日
(1876年)
第8巻 p.421-429(DK080029k)
是日前会ニ継ギ栄一ノ作成セル諸草案ニ付第十五回会議ヲ開ク。乃チ総理代人権限並事務章程ヲ審議決定シ、又京浜間鉄道払下請願許可ニ付更ニ上申ス可キ文牒並政府トノ約定書ヲ議定シ、同月十日之ヲ政府ニ呈出ス。
明治9年3月18日
(1876年)
第8巻 p.429-433(DK080030k)
是日第十六回会議ヲ開ク。乃チ諸要件就中第一国立銀行トノ間ニ取結ブベキ条款ヲ審議決定ス。同年八月四日ニ至リ其結約ヲ見ル。
明治9年7月10日
(1876年)
第8巻 p.433-445(DK080031k)
京浜間鉄道払下ニ付曩ニ政府ニ呈出セル政府トノ約定書ニ対シ、政府ハ払下代価三百万円ヲ三百十万円ニ追増シタル新草案ヲ内達ス。是日第十八回会議ニ於テ工部卿伊藤博文之ニ臨ミ追増ノ所以ヲ演述シ、新草案ニ関シテ栄一トノ間ニ質疑応答アリ、後衆議ニ付シ次回会議ニ於テ之ヲ決定ス。
明治9年7月18日
(1876年)
第8巻 p.445-460(DK080032k)
是日ノ第十九回会議及ビ次回会議ニ於テ、栄一定款案ヲ審議ニ付ス。其議未ダ了セズシテ後会ニ残ス。
明治9年8月5日
(1876年)
第8巻 p.460-466(DK080033k)
同組合、政府ト新橋横浜間官設鉄道払下ニ関スル条約ヲ締約ス。
明治9年9月18日
(1876年)
第8巻 p.466-473(DK080034k)
是ヨリ先、八月五日金禄公債証書発行条例公布セラルルヤ、鉄道組合華族中禄券制ニ因ル収入減ノ為メ嚮ニ盟約セル出資担保金額ヲ維持シ難シト為ス者アリ。是日第二十二回会議ハ為メニ異議紛々トシテ決セズ。乃チ栄一特別会議ヲ起シ禄券ニ対スル方策ヲ協議センコトヲ唱フ。衆議之ニ随フ。
明治9年9月25日
(1876年)
第8巻 p.473-479(DK080035k)
前会決議ニ依リ是日、次テ同月二十八日、出資担保金額維持ニ関スル特別臨時会議ヲ開ク。栄一会頭トシテ先ヅ各自ニ会計ノ事情ヲ問究シテ其論旨ヲ類別スルニ、禄券ヲ用ヒテ年賦上納金ニ充テンコトヲ望ム者ノ外、担保金額ヲ維持シ難シト為ス論三派アリテ十名ニ上ル。依テ其者ノ為メニ禄券ヲ放擲セズ之ヲ我ニ存シテ其上納金ヲ弁資スルノ方策ヲ総理代人ニ於テ立案アランコトヲ求ムル動議アリ。衆議之ニ賛シ、栄一亦之ヲ諾ス。
明治9年10月18日
(1876年)
第8巻 p.479-492(DK080036k)
是日、第二十五回会議ヲ開ク。栄一前会ニ於テ托サレタル禄券運用ノ策、即チ、第一、第一国立銀行ニ禄券ヲ附托シテ上納金ノ貸付ヲ得ルノ法、第二、禄券ヲ以テ資本ト為シ国立銀行ヲ創立スルノ法、第三、第一国立銀行ニ併資スルノ法ノ三策ヲ立テ衆議ニ附ス。衆論第一法ヲ望ム。次テ同月二十五日開カレタル臨時会議ニ於テ、栄一第二法ノ最モ適切ナル所以ヲ力説ス。因テ其選定ヲ後会ニ約ス。
明治9年10月28日
(1876年)
第8巻 p.492-497(DK080037k)
是ヨリ先、華族会館ニ於テ華族ノ金禄公債証書ヲ集合シテ管理運用セントスル企テアリ。玆ニ於テ東京鉄道組合華族ノ出資之ニ吸収セラレ愈々難渋トナラントスルヲ以テ、是日臨時会議ニ於テ特ニ鉄道払下年賦金ヲ右管理ノ外ニ置カン事ヲ華族会館督部長岩倉具視ニ請願スルニ決シ、栄一ニ願書ノ起草ヲ委ヌ。同月三十一日草案成リ之ヲ輪議ニ付ス。然レドモ其願意容レラレズ。
明治9年11月10日
(1876年)
第8巻 p.497-503(DK080038k)
華族ノ金禄公債証書ヲ集合シ以テ銀行設立及鉄道建設ヲ為サントセル華族会館ノ挙アルヲ以テ、是日栄一第二十八回臨時会議ニ於テ曩ニ附議セル禄券運用三策ハ到底行ハレザルニ因リ廃案ト為シ、旧ニ復シテ此組合ノ維持ノ方策ヲ謀ルカ或ハ寧ロ同会館ニ合同併資スルカ択ブベシト説ク。衆議之ヲ採リテ合同論ニ決シ、同月十二日伊達宗城・池田慶徳ハ華族督部長岩倉具視ヲ訪ヒテ其旨ヲ具陳セリ。
明治10年3月26日
(1877年)
第8巻 p.503-513(DK080039k)
前議ニ依リ華族督部長岩倉具視ニ同組合ヲ華族銀行ニ併合ノ事ヲ諮ルニ可否スル所ナシ。然後具視ノ考案アリ、即チ禄券全額ヲ以テ華族銀行ニ加入シ、同行創立ノ上ハ鉄道払下年賦金ヲ一時ニ上納シ以テ衆華族ノ共有ト為スベキ内命アリタリ。仍テ是日第三十一回臨時会議ヲ開キ該考案ヲ審議ニ付ス。栄一夫レノ組合ニ不利ナル所以ヲ説キ、反案トシテ同行ヨリ毎季上納金ヲ借入レ以テ完納後衆華族ノ共有ト為スヲ得策ト為ス。次会ニ於テ衆議之ヲ可トシ、且同行トノ交渉ヲ栄一及肝煎林厚徳ニ委ス。
明治10年7月1日
(1877年)
第8巻 p.513-525(DK080040k)
前議ヲ以テ栄一林厚徳ト共ニ第十五国立銀行(華族銀行)創立事務所ニ抵リ、同行ヨリ毎季ノ上納金ヲ借継ギ、満期完納ノ上ハ払下鉄道ヲ衆華族一般ノ所有ト為スベキ約定取結ニ付交渉ヲ開始セシガ、同行ノ拒否スル所トナリ、其後屡次折衝ヲ重ヌ。然ルニ上納期近迫セルヲ以テ、是日第三季上納金二十一万四千円ノ借款ノミ成立ス。同月五日此上納ヲ了ス。
明治10年8月18日
(1877年)
第8巻 p.525-529(DK080041k)
是日、第三十七回会議ニ於テ栄一過般来第十五国立銀行ニ対シ上納金連季貸借約定ニ付交渉ヲ為セドモ之ニ応ゼズ、而シテ毎季殊別ヲ以テ之ヲ約定スベシト云フヲ告ゲ、斯ノ如クナレバ同組合ノ存廃ヲ決スベキ極ニ到リタルヲ以テ須ラク討議アランコトヲ求ム。仍テ衆議先ヅ華族督部長岩倉具視ニ内稟シテ其善処方ヲ請フニ決ス。
明治10年11月29日
(1877年)
第8巻 p.529-536(DK080042k)
前議ニ依リ栄一華族督部長岩倉具視宛内稟書案ヲ草シ輪議ニ付ス。文草縷々鉄道組合ノ歴由ヲ述ベ而シテ組合維持ノ方策トシテ具視教誨ノ如ク第十五国立銀行ヨリ連季上納金借人レ満期完納ノ上ハ衆華族ノ共有ト為スベク裁理アラン事ヲ陳請ス。十一月七日之ヲ上ス。然ルニ具視禄券実値ノ低下ニ因リ同行資本ノ減少ヲ招来シ上納金連季貸付ノ儀ハ応ジ難キ事情アルヲ以テ組合ニ於テ然ルベク処分スベキ旨回指アリ。爰ニ於テ是日衆議竟ニ鉄道払下条約ノ取消ヲ政府ニ請願スルニ決シ、年賦既納金資途ノ良策ニ付テハ之ヲ栄一ニ托ス。
明治10年12月13日
(1877年)
第8巻 p.536-543(DK080043k)
是日第三十九回臨時会議ニ於テ栄一起草ノ鉄道払下条約取消請願書案ヲ審議決定シ、又既納金ノ還附ヲ受ケタル時ハ他日更ニ一事業ヲ起スベク其金額ヲ保存スル事ヲ約ス。同年十二月十九日右請願書ヲ大蔵卿大隈重信・工部卿伊藤博文ニ呈出ス。明年三月九日允許サル。
明治11年3月18日
(1878年)
第8巻 p.543-556(DK080044k)
曩ニ鉄道払下条約取消ノ許可アリタルヲ以テ、是日第四十回会議ヲ開キ前会決議ニ基キ将来ノ目的ニ付審議ス。栄一転換ノ事業トシテ海上保険業ヲ創ムル事ヲ勧ム。衆議之ヲ容レ、其準備調査ヲ栄一ニ委嘱ス。而シテ爰ニ同組合解散スルニ当リ栄一ニ慰労金千円ヲ贈ル。
2款 日本鉄道株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治17年10月24日
(1884年)
第8巻 p.557-581(DK080045k)
是ヨリ先、明治十四年十一月日本鉄道会社創立セラレ、栄一当初之ニ関係セザリシモ、是日臨時株主総会ニ於テ理事委員ニ選バル。
明治31年4月6日
(1898年)
第8巻 p.581-590(DK080046k)
是ヨリ先、同会社ニ於テ職員ノ公金私消、定款改正認可申請ノ却下及従業員ノ罷業等諸事件アリテ社長小野義真以下理事委員検査委員一同其責ヲ負ヒテ辞任ス。是日臨時株主総会開催サレ委員ノ補欠選挙ヲ為ス。栄一議長ニ推サレタルガ、株主中ニ改革派アリテ遂ニ投票ニ依リテ決ス。栄一再ビ理事委員ニ当選ス。
明治31年8月9日
(1898年)
第8巻 p.590-592(DK080047k)
是日開カレタル通常株主総会ニ於テ栄一議長ト為リ、営業報告ノ後配当率ヲ年五分五厘ニ引下グベシト陳述ス。株主中之ニ反対スル者アリシガ、栄一調停シテ終ニ其原案ヲ通過セシム。続テ臨時総会ヲ開キ理事委員検査委員ノ改選ヲ行ヒ、栄一理事委員ニ再選サレ、子爵曾我祐準社長ト為ル。
明治33年12月24日
(1900年)
第8巻 p.592-593(DK080048k)
定款改正ノ結果理事委員及検査委員ノ名称ヲ取締役及監査役ニ改ム。栄一取締役タリ、爾後重任シテ明治三十七年十月ニ至ル。
明治37年10月28日
(1904年)
第8巻 p.593-594(DK080049k)
是日栄一取締役ヲ辞任ス。後日慰労金壱万円ヲ贈ラル。
明治39年5月25日
(1906年)
第8巻 p.594-595(DK080050k)
是ヨリ先、政府ヨリ受クル利子補給ガ是年二月末日限リ期限満了トナルヲ以テ、爰ニ同会社記念会ヲ挙行シ、創立以来ノ功労者ニ対シ金品ヲ贈ルニ決ス。栄一之ガ評議員並主査委員タリ。是日上野精養軒ニ記念会開催サル。
明治39年10月12日
(1906年)
第8巻 p.595-601(DK080051k)
鉄道国有法発布ニ依リ是日臨時株主総会ヲ開キ解散手続ニ関スル議案ヲ議決ス。栄一解散慰労金審査委員ニ選バレ其委員長ニ推サル。委員会ハ解散慰労金ヲ三百八十万円ニ決シ、其分配処分ヲ取締役ニ一任ス。後取締役会ハ更ニ特別委員会ヲ設ケ該分配額ヲ定ム。
明治40年2月28日
(1907年)
第8巻 p.601-616(DK080052k)
曩ニ決定セル解散慰労金分配ニ対シ旧同会社使用人ソノ不当ヲ嗚シ紛擾ヲ起ス。栄一之ガ調停ニ努メ、是日開カレタル旧同会社株主総会ニ出席シ、動議ヲ起シテ重役寄附金ヲ加ヘ追加慰労金二十四万余円ヲ支出セシメ、其慰労金再分配調査委員ヲ指名シ委員長ト為ル。玆ニ於テ紛擾円満解決ス。
明治42年4月23日
(1909年)
第8巻 p.616-619(DK080053k)
是日開カレタル旧同会社臨時株主総会ニ於テ清算人ヨリ清算報告アリ、次デ残余財産分配ニ関スル件ヲ議定ス。栄一株主ヲ代表シ重役並清算人ニ対シテ謝辞ヲ述ブ。
3款 濃勢鉄道株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治17年4月5日
(1884年)
第8巻 p.620-623(DK080054k)
東京府・大阪府・三重県有志者ト共ニ同会社創立発起人ト為リ、伊勢国四日市・美濃国垂井間ニ鉄道ヲ敷設セントシ、是日三重県令岩村定高ニ出願ス。然ルニ工部省之ヲ官設ト為スニ決シタルヲ以テ許サレズ。
4款 両毛鉄道株式会社
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明治19年11月25日
(1886年)
第8巻 p.624-634(DK080055k)
田口卯吉・浅野総一郎外十六名発起人ト為リ、下野国小山ヨリ桐生ヲ経テ上野国前橋ニ至ル間ノ鉄道ヲ敷設セントシ、是日出願ス。栄一背後ニ在リテ之ヲ援助ス。翌二十年五月十七日命令書下附セラル。同会社ハ明治三十年一月一日ニ至リ鉄道・土地・建物其他一切並ニ営業権ヲ日本鉄道株式会社ニ譲渡シ解散ス。
5款 水戸鉄道会社
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明治20年1月19日
(1887年)
第8巻 p.635-638(DK080056k)
川崎八右衛門等、常陸国水戸ヨリ笠間・結城ヲ経テ下野国小山ニ至ル間ニ鉄道ヲ敷設セントシ、是日出願ス。明治二十二年一月十六日開業シ、二十五年三月一日ニ至リ日本鉄道会社ニ合併解散ス。栄一株主タリ。
6款 日光鉄道会社
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明治22年6月21日
(1889年)
第8巻 p.639-644(DK080057k)
是ヨリ先、明治二十年四月、栃木県民有志者日光宇都宮間ニ鉄道ヲ敷設セントス。栄一発起者ノ依頼ニヨリ諸事相談ニ与リ、後創立委員長ニ推サル。然ルニ同会社其建設ノ困難ニ逢ヒ荏苒時ヲ経テ終ニ成立ノ目途ヲ失フニ至ル。是日鉄道局長官井上勝、日本鉄道会社理事委員会ニ臨ミ日光線ノ引受ヲ慫慂シ、栄一亦同会社始終ノ事情ヲ開陳ス。之ニ基キ日本鉄道会社ハ該支線ノ敷設ヲ決シ、後日光鉄道会社ニ諸調査費額トシテ二万円贈与ヲ議決ス。
7款 北海道炭礦鉄道株式会社
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明治22年8月9日
(1889年)
第8巻 p.645-669(DK080058k)
栄一、侯爵徳川義礼外十一名ト共ニ発起人ト為リ、北海道室蘭・空知太間及同線路ヨリ分岐シテ夕張空知両炭山ニ至ル間鉄道ヲ敷設シ、並ニ手宮・幌内太・幾春別間官有鉄道ヲ払下ゲ、以テ運輸ノ業ヲ営ミ、併テ幾春別・空知・夕張・美唄等ノ諸炭山ヲ採掘セントス。是日政府並ニ北海道庁ニ同会社創立及鉄道部資本利子補給其他ノ特許ヲ出願ス。十一月十八日許可セラレ、十二月十一日営業ヲ開始セリ。
明治22年11月20日
(1889年)
第8巻 p.669-671(DK080059k)
栄一同会社常議員ト為ル。爾後明治二十六年九月マデ重任ス。
明治25年3月24日
(1892年)
第8巻 p.671-685(DK080060k)
同会社其敷設線路ノ予定ヲ政府ノ認可ヲ経ズシテ変更セル廉ヲ以テ、是日社長掘基罷免セラレ、栄一後任者推薦ニ奔走ス。四月四日常議員高島嘉右衛門社長ヲ命ゼラル。
明治25年5月25日
(1892年)
第8巻 p.685-703(DK080061k)
是日開カレタル第四回株主総会ニ於テ社長高島嘉右衛門ニ代リテ議長ト為リ、紛紛タル株主ノ質疑ヲ処理ス。
明治26年2月24日
(1893年)
第8巻 p.703-721(DK080062k)
是ヨリ先、九州炭礦業者等同会社ニ対スル政府ノ補助金支給ニ反対シ、之ガ廃止ヲ第四回帝国議会ニ請願ス。栄一同会社ノ為メニ福地源一郎ニ嘱シ反駁書ヲ起草セシメ、之ヲ議員ニ頒布シテ請願書上程ノ阻止ニ努ム。是日、衆議院ニ於テ該請願ノ採択否決サル。
明治26年9月27日
(1893年)
第8巻 p.721-726(DK080063k)
栄一同会社常議員ヲ辞ス。
8款 常磐炭礦鉄道株式会社
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明治22年7月23日
(1889年)
第8巻 p.727-734(DK080064k)
福島県郡長白井遠平同県平町ヨリ茨城県水戸町ニ至ル間ニ鉄道ヲ敷設シ磐城石炭運搬ノ便ヲ開カントシ、之ヲ栄一等数名ニ謀ル。栄一等之ニ賛シ、是日発起人会ヲ開ク。然ルニ翌年一月出願セントスルニ際シ、鉄道局長官井上勝其時機ニ非ラザルヲ以テ中止セシム。其後白井遠平等常磐炭礦鉄道期成同盟会ヲ組織シ、二十六年再ビ栄一等ニ其援助ヲ請ヒ、此事成ラントセシガ、日本鉄道会社ニ於テ該線ヲ敷設スルノ意アリ。仍テ之ヲ止ム。
9款 参宮鉄道株式会社
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明治22年8月15日
(1889年)
第8巻 p.735-737(DK080065k)
栄一外二十二名発起人ト為リ、神宮参拝者ノ便ヲ図ランガ為メ伊勢国津市ヨリ松坂町・田丸町ヲ経テ小俣村ニ至ル間ニ鉄道ヲ敷設セントシ、是日免許ヲ申請ス。翌年八月十八日免許状下附セラル。
明治25年7月25日
(1892年)
第8巻 p.737-745(DK080066k)
同会社ノ起工頗ル延引シ株主中創立中止ヲ主張スル者アルニ至リシガ、栄一中止ノ不利ナル所以ヲ説キ、会社諸般ノ改革ニツトム。是日栄一株主総会ニ於テ相談役ニ推サレテ就任、数次相談会等ニ列シ、之ヨリ諸事進捗シ、同会社ハ二十六年十二月三十一日ヲ以テ開業セリ。