デジタル版「実験論語処世談」(47) / 渋沢栄一

2. [理性のみでは世の中は持てぬ]

りせいのみではよのなかはもてぬ

(47)-2

曾子有疾。召門弟子曰。啓予足。啓予手。詩云。戦戦兢兢。如臨深淵。如履薄氷。而今而後吾知免夫。小子。【泰伯第八】
(曾子疾有り、門弟子を召して曰く、予が足を啓け、予が手を啓け、詩に云ふ、戦戦兢兢として深淵に臨むが如く、薄氷を履むが如し。而して今にして後吾免るることを知るかな、小子。)
 曾子は孔子の門下に於ても、孔子の心中を良く理解し、孔子の学説を後世に伝へることに於て非常に功の有つた人である。日本にもお茶の水橋の聖廟に孔子の像があるが、之れに四配として顔子、曾子、子思、孟子の四人の像を左右に配して居る如く、孔門の幹部の人であつた。此曾子は非常に親孝行の人であつて、支那の二十四孝の一人として有る。夫れによると、或る時曾子が山に木樵に出掛けて行つて居た時、母が急に曾子に会ひたくなつたが、之れを曾子に知らせる事が出来ぬ。そこで指を喰ひ切つたと云ふことである。すると山に居た曾子の心中に霊感するものがあつて、何か母上の身の上に異変の有ることが知れた。曾子は急いで家に帰り母の身の上に異りは無いかを聞いて見た処が、母は曾子に会ひたくて指を喰ひ切つたと云ふのであつた。斯くの如きことが事実有つたか何うかは断言出来ぬ。余りに極端のやうにも思へるが、事実は兎に角として、之れを以て見ても、曾子が如何に親孝行の人であつたかと云ふことが知れる。
 斯様に親孝行の人であるから、親から譲られた身体は之を少しも毀傷せず、完全にして親に反さねばならぬと思ひ、平生身を守るに深く心を用ひ、丁度詩に云ふ戦戦と恐懼し、兢兢と戒謹して、深き淵に臨みて墜ちんことを恐れ、薄き氷を履みて陥らんことを恐るるが如くにして努めたのである。然も今や死して此の身を終れば、身体を毀損しはせぬかと云ふ心配から免るる事が出来るのであると、多くの門人共を呼び集めて、其身の少しも毀傷の無きことを示しつつ、懇々と親孝行の事に就いて説き聞かせたのである。
 然し之れを字義通りに解すると余り極端になつて、只身体を傷つけさへせねば良いと云ふことになり、他に色々の故障が起きて来るやうになる。曾子の場合に於ては、幸ひ一生を通じて毀傷することなく、身を完くして反すことが出来たのであるが、之れを誰人にも又如何なる場合にも当嵌めると云ふ訳には行かぬ。日本にも何程も例の有る事で、充分親孝行であり乍ら然も身命を捨てたものは多いことである。橋本左内、吉田松陰、頼三樹三郎等の如き夫れである。又私にしても明治の初年屡〻死を決したことが有る。更に又適切の例を言うて見ると、一国の安危に関する大戦争に軍人として出征した場合、親を想ふの余り敵を後にして帰つて来たとしたら、之れは決して親孝行と言ふことは出来ぬ。
 斯くの如く、立場を異にするに従つて一概に論断することは出来ぬが、親より受けた身体は、よく注意して之を濫りに毀傷するが如きことなく孝行を完うせねばならぬと云ふ本旨はよく説かれてあつて、吾吾の大に学ばねばならぬ処である。
 近頃西洋の個人思想の流入の結果からか、世の中の親子の関係が次第に薄くなつて行くと云ふことは、甚だ遺憾に堪へぬところである。殊に若い青年に此情が薄れて行くと言ふことは、非常に慨嘆すべきことである。世の中と云ふものは、決して理性のみでやつて行かれるものではない。必らず其処に情合の深いものがなければならぬ。然も君に忠、親に孝と云ふことは日本の国風であつて、日本の家族制度の下に於ては必然のものである。殊に近頃屡〻聞くことで、子供が親に向つて、親は子供を教育するの義務が有ると云うてゐる。然し若し子供が親に向つてさうしたことを要求するならば、先づ子供たるものは親に孝を尽すの義務を忘れてはならぬ。自分の都合の良い事ばかり要求して自分の務めを忘れると云ふことになれば、秩序と云ふものは廃れて了ふことになる。今日の世の中に段々忠孝と云ふものが衰頽して行くと云ふことは、返す返すも残念のことで、私は之れを是非とも改善せねばならぬと思ふのである。

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デジタル版「実験論語処世談」(47) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.366-370
底本の記事タイトル:二九七 竜門雑誌 第三七八号 大正八年一一月 : 実験論語処世談(第四十七回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第378号(竜門社, 1919.11)
初出誌:『実業之世界』第16巻第10号(実業之世界社, 1919.10)