デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.6.13

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
25節 取引所
2款 東京米商会所
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治9年4月29日
(1876年)
第14巻 p.5-6(DK140001k)
是ヨリ先、糸平・島慶ノ両人、中外商行社ニ於テ取組ミ、譲ラズ。栄一ソノ解合ヲ斡旋シツツアリシガ、是夜、共ニ柳橋升田屋ニ会シ和睦成ル。
明治11年下半季
(1878年)
第14巻 p.6-27(DK140002k)
是ヨリ先明治九年十月、米商会所条例ニ準拠シテ東京商社ヲ改組セルヲ東京兜町米商会所トス。栄一ソノ改組ニ関セシヤ否ヤハ詳ラカナラザルモ、此季ニ到リテ福地源一郎・益田孝・渋沢喜作・田中平八・大倉喜八郎等ト共ニ三井次郎右衛門所有ノ同所株式ノ譲渡ヲ受ケ、株主名簿ニ名ヲ列ス。
明治12年10月29日
(1879年)
第14巻 p.27-28(DK140003k)
是日栄一、東京蠣殻町米商会所ノ催シニカカル全国米商会所懇親会ニ招待サル。
明治12年12月5日
(1879年)
第14巻 p.28-29(DK140004k)
是ヨリ先本年二月四日、米商会所仲買人制限ニ関スル大蔵省布達甲第十六号発令セラレ、ソノ実施方延期中ナリシガ、コノ頃遂ニ実施ヲ見ントス。東京蠣殻町米商会所困惑シテ米倉一平ヲシテ大蔵省常平局長与倉守人ニ更ニ延期ヲ懇請セシメシモ成ラズ。栄一与倉ニ面会シテ重ネテ内情ヲ陳述セントス。仍テ是日与倉、栄一ニ書ヲ致シテ延期実現ノ困難ナルヲ示ス。
明治13年1月4日
(1880年)
第14巻 p.29-36(DK140005k)
是日栄一、東京蠣殻町米商会所ノ商始ノ祝宴ニ招待サル。
明治13年下半季
(1880年)
第14巻 p.36-52(DK140006k)
栄一、所持スル東京兜町米商会所株式ヲ悉ク売却シ、同所トノ関係ヲ断ツ。
明治19年7月17日
(1886年)
第14巻 p.52-97(DK140007k)
当時米商社会ノ腐敗甚シク、之ガ改革ノ声、朝野ニ満ツ。農商務次官吉田清成マタ夙ニ粛正ヲ志シ、是月東京ニ催サレタル全国米商会所協同会ニ改革方ヲ諮問ス。ソノ復申書ノ上呈サルヽヤ、コレヲ栄一ニ示シテソノ意ヲ問フ。乃チ栄一是日、書ヲ寄セテ之ヲ批判シ、株式組織ニヨル米商会所ノ不適当ナルヲ論ズ。
明治22年1月4日
(1889年)
第14巻 p.97(DK140008k)
是日栄一、東京米商会所ノ新年宴会ニ出席ス。
明治24年6月24日
(1891年)
第14巻 p.97-109(DK140009k)
是日、東京米商会所頭取中村道太ノ公金私消事件ノ善後策ヲ講ズル同所仲買人総会ニ於テ、栄一、益田孝・今村清之助・森岡昌純・阿部彦太郎ト共ニ整理委員ニ選バル。栄一等、ソノ嘱ニ応ジテ尽力シ、翌七月上旬遂ニ解決セシムルニ至ル。
3款 横浜洋銀取引所
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治10年7月11日
(1877年)
第14巻 p.110-111(DK140010k)
栄一外十一名、明治九年太政官布告第百五号米商会所条例ニ準拠シテ横浜ニ洋銀取引所ヲ設立センコトヲ計リ、是日、神奈川県庁ヲ経テ内務省ニ出願ス。
明治12年2月15日
(1879年)
第14巻 p.111-123(DK140011k)
是月十三日、太政官布告第八号発セラル。仍テ栄一、渋沢喜作・大倉喜八郎・茂木惣兵衛・吉田幸兵衛・中村惣兵衛・西村喜三郎・田中平八・松野和邦・益田孝・原善三郎ト、明治十一年太政官布告第八号株式取引所条例ニ準拠シ、資本金十二万円ヲ以テ横浜ニ洋銀取引所ヲ設立センコトヲ、是日大蔵省ニ出願シ、同十七日大蔵卿大隈重信ノ允許ヲ得タリ。
明治12年2月20日
(1879年)
第14巻 p.123-141(DK140012k)
是ヨリ先、栄一等ノ出願ヲ知リ周章セル横浜ノ洋銀仲買等百余名団結シ紛議生ズ。或ハ別個ニ取引所ヲ設ケントイヒ、或ハ株式ノ公開ヲ求メントイフ。両派ノ折衝紆余アリシモ、是日栄一、渋沢喜作・益田孝・田中平八ト共ニ横浜ニ来リ、馬越恭平ノ仲裁ヲ以テ富貴楼ニ早矢仕有的・木村利右衛門・中山安二郎等ト会シ、増株並ニ株式公開ニ関シ協議、両派ノ意見一致ス。
明治12年3月10日
(1879年)
第14巻 p.142-173(DK140013k)
是日茂木惣兵衛ヲ頭取トシ、二十万円ノ資本金ヲ以テ横浜洋銀取引所開業ス。栄一、創立発起人兼最大株主タリ。来リテ開業式ニ列ス。
明治13年5月22日
(1880年)
第14巻 p.173-182(DK140014k)
コノ頃栄一、横浜取引所頭取茂木惣兵衛ヨリ、金銀貨幣ノ定期売買停止ニ関スル臨時株主総集会ノ案内状ヲ受ク。以後栄一ト同所トノ関係ハ詳ラカナラズ。
4款 大阪株式取引所
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治11年4月13日
(1878年)
第14巻 p.183-187(DK140015k)
五代友厚・広瀬宰平等十一名、大阪ニ株式取引所ヲ創設スベク仮会議ヲ開ク。第一国立銀行大阪支店支配人井口新三郎・同勘定改役熊谷辰太郎モ亦発起人タリ、栄一ノ指導ニヨルモノノ如シ。
明治11年6月18日
(1878年)
第14巻 p.187-224(DK140016k)
是ヨリ先、五代友厚・広瀬宰平等大阪株式取引所設立ヲ大蔵卿ニ出願シ、本月十七日聴キ届ケラル。是日栄一、五代友厚ニ書ヲ送ツテ第一国立銀行取締役中山信彬ノ辞任ト併セテ当取引所役員就任ノ旨ヲ報ズ。中山ハ七月八日開カレタル株主初集会ニ於テ肝煎ニ選挙セラレ、十九日頭取ニ推サル。栄一当取引所創立ニ関シテ後援スル所頗ル多シ。
明治11年11月30日
(1878年)
第14巻 p.224-227(DK140017k)
栄一、井口新三郎名儀ノ大阪株式取引所株式五十株ノ譲替ヲ受ケ同所株主トナル。
明治14年上半季
(1881年)
第14巻 p.227-231(DK140018k)
是ヨリ先、明治十二年末頃ヨリ栄一所持スル大阪株式取引所株式ヲ漸次譲渡シツツアリシガ、コノ季ニ於テ悉ク売却シ、創立発起人タル有力株主等ト共ニ同所トノ関係ヲ断ツ。尋イデ翌年正月、頭取中山信彬モ亦職ヲ辞ス。
5款 大阪堂島米商会所
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治11年6月
(1878年)
第14巻 p.232-233(DK140019k)
栄一、大阪堂島米商会所ノ依頼ニヨリ、無記名公債証書ヲ以テ証拠金ニ代用スルコトヲ大蔵卿大隈重信ニ出願スルニツキ斡旋ス。
明治13年2月-3月
(1880年)
第14巻 p.234-236(DK140020k)
紙幣ノ濫発ニ伴ヒ米価ノ騰勢甚シキヨリ、五代友厚等政府ノ意ヲ受ケ大阪堂島米商会所ニ於テ定期米ノ売抑ヲ試ミシモ失敗ニ終リシコトアリ。栄一モ之ニ関与セルカ。
明治17年6月20日
(1884年)
第14巻 p.236(DK140021k)
栄一、第一国立銀行京摂地方各支店等ヲ巡閲中ナリシガ、大阪堂島米商会所・大阪株式取引所ノ招請ヲ受ケ鴻池別荘ニ於ケル歓迎会ニ臨席ス。
6款 東京商品取引所
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治26年11月12日
(1893年)
第14巻 p.237-249(DK140022k)
是ヨリ先、東京商品取引所設立ニ際シ、浜口吉右衛門等ト田中平八等トノ両派競願シテ譲ラズ。農商務省商工局長若宮正音、之ガ協調ヲ計リ、栄一及ビ東京府知事三浦安ニ仲裁ヲ依頼セントシ、是日栄一ヲ兜町ニ訪フ。栄一両派ヨリ無条件一任ヲ受クルニアラズンバ応ゼザル旨ヲ答フ。然レドモ両派無条件一任ヲ肯ンゼザルヲ以テ商工局長ノ斡旋モ亦空シカラントス。
明治26年12月1日
(1893年)
第14巻 p.249(DK140023k)
栄一、東京商品取引所設立出願両派中、浜口派ニ属スル柿沼谷蔵ヲ穂積陳重ニ紹介シ、取引所法ノ条文解釈ニツキ便宜ヲ得セシム。
明治27年10月1日
(1894年)
第14巻 p.249-264(DK140024k)
農商務省ノ施策宜シキヲ得テ、協調裡ニ東京商品取引所開業ス。栄一開業式ニ列シテ祝辞ヲ述ブ。又栄一、友人ノ依頼ヲ受ケ、同所株主タリシコトアリ。
7款 東京銀塊取引所
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治31年2月10日
(1898年)
第14巻 p.265-273(DK140025k)
東京銀塊取引所創業総会開カレ、栄一等五名ニ相談役ヲ委嘱スルコトヲ決ス。栄一諾ス。
8款 横浜ニ於ケル商品取引所合併問題
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治32年6月21日
(1899年)
第14巻 p.274-277(DK140026k)
是ヨリ先、日清戦後ノ不況ニヨリ横浜ニ於ケル各種商品取引所マタ衰頽ス。栄一、神奈川県知事浅田徳則ノ委嘱ヲ受ケ、是日横浜蚕糸外四品取引所、横浜四品取引所及ビ横浜米塩雑穀取引所ノ代表者ヲソノ邸ニ招キ合併談ヲ試ム。是年十一月横浜四品取引所ト横浜米塩雑穀取引所ト合併シ、横浜株式米穀取引所ノ成立ヲ見タルハ之ニヨルカ。
26節 倉庫業
1款 倉庫業創設運動
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治10年11月7日
(1877年)
第14巻 p.278-288(DK140027k)
是日栄一、大蔵卿大隈重信ニ、私信ト共ニ貸庫設立ニ関スル銀行業者ノ意見書ヲ非公式ニ送ル。
2款 北越商会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治12年6月
(1879年)
第14巻 p.289-294(DK140028k)
是月栄一、八木朋直等ト組合ヲ組織シ、北越商会ト称シ、沼垂町ニ倉庫業兼金融業ヲ経営ス。
3款 倉庫会社並ニ均融会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治15年7月28日
(1882年)
第14巻 p.295-315(DK140029k)
是日栄一、三井宸之助・原六郎等ト連署シテ倉庫会社ヲ設立センコトヲ東京府知事芳川顕正ニ出願シ、尋デ同社発行ノ倉荷証券ヲ担保トスル手形ノ割引ヲ行フタメ均融会社ヲ創立センコトヲ出願ス。
明治15年11月7日
(1882年)
第14巻 p.315-327(DK140030k)
是日栄一、当会社開業式ニ列ス。相談役ニ任ジ、助成頗ル努ム。
明治17年8月
(1884年)
第14巻 p.327-342(DK140031k)
是ヨリ先、栄一均融会社及ビ倉庫会社ノ経営振興ノタメ尽力スル所多カリシガ、是月均融会社営業振ハズシテ休業、翌年七月倉庫会社モ亦休業ス。
4款 敦賀・伏見・四日市ニ於ケル倉庫業
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治17年6月
(1884年)
第14巻 p.343-345(DK140032k)
是月栄一、第一国立銀行京摂地方支店巡廻ノ途次、敦賀ニ至リ、港内倉庫設備ヲ一覧ノ後、八幡銀行頭取西川貞二郎等ト、同地ニ倉庫会社ヲ設立センコトヲ協議シ、伏見ニ至リテ同地ノ倉庫会社ヲ視察シ、更ニ四日市ニ於テ倉庫会社設置ヲ説キシモノノ如シ。
5款 土崎港ニ於ケル倉庫会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治26年3月3日
(1893年)
第14巻 p.346-347(DK140033k)
沢村友蔵、秋田県土崎港ニ米穀取引所ヲ創設セントシ、先ヅ之ニ要スル倉庫会社ヲ設ケントス。仍ツテ栄一ヲ訪ネ倉庫会社組織ニツキ指導ヲ受クベク、是日、長岡護美ノ紹介ヲ得。
6款 渋沢倉庫部
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治30年3月30日
(1897年)
第14巻 p.348-366(DK140034k)
是日、渋沢倉庫部開業ス。栄一ハ営業主ニシテ長男篤二部長タリ。始メ渋沢商店及山崎繁次郎之ニ加盟シ匿名組合組織ナリシモ、明治三十六年一月以後ハ之ヲ解キ独立経営ニ改ム。
明治40年4月7日
(1907年)
第14巻 p.366-373(DK140035k)
渋沢倉庫部開業十周年紀念園遊会ヲ飛鳥山渋沢邸ニ催ス。
7款 東海倉庫株式会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治39年12月5日
(1906年)
第14巻 p.374-376(DK140036k)
是日栄一、名古屋商業会議所ニ於ケル東海倉庫株式会社創立総会ニ於テ相談役ヲ依嘱セラル。明治四十二年六月他ノ関係諸会社ト同様辞任ス。
27節 ホテル業
1款 株式会社帝国ホテル
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治20年11月28日
(1887年)
第14巻 p.377-380(DK140037k)
是ヨリ先、栄一等外人ノ宿泊ニ充ツル等ノ目的ヲ以テ有限責任東京ホテルノ創立ニ力メ、是日発起人総代トシテ大倉喜八郎ト共ニ連署シテ会社創立願ヲ東京府知事ニ提出ス。
明治20年12月14日
(1887年)
第14巻 p.380-382(DK140038k)
是日栄一、東京ホテル発起人総代トシテ大倉喜八郎ト連署シテ、日本土木会社内ニ仮事務所設置ノ件並ニ事務開始ノ件及ビ役員氏名ヲ東京府知事ニ届出ヅ。栄一理事長タリ。
明治23年11月3日
(1890年)
第14巻 p.382-386(DK140039k)
是日有限責任帝国ホテル会社開業ス。
明治26年10月24日
(1893年)
第14巻 p.386-399(DK140040k)
是日株主臨時総会ヲ当会社ニ開キ、商法ノ施行ニ伴ウ定款ノ改正ヲ議ス。尋イデ十二月十六日定款改正ヲ農商務大臣伯爵後藤象二郎ニ願出デ、同二十九日認可ヲ得、帝国ホテル株式会社ト改称ス。栄一取締役会長ニ就任、以後毎期重任シテ明治四十二年六月ニ至ル。
明治40年1月25日
(1907年)
第14巻 p.399-406(DK140041k)
是日帝国ホテル株式会社、メトロポール・ホテル合併シテ株式会社帝国ホテル設立サル。栄一引続キ取締役会長タリ。
明治42年6月6日
(1909年)
第14巻 p.406-407(DK140042k)
是年栄一、古稀ニ渉ルヲ以テ第一銀行他少数ノ関係ヲ除キ、諸事業ヨリノ引退ヲ決意シ、是日株式会社帝国ホテル取締役会長ヲ辞ス。
2款 其他ノホテル 1. 日光ホテル会社
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明治21年9月
(1888年)
第14巻 p.408-412(DK140043k)
安生順四郎・加藤昇一郎等日光ニ日光ホテルヲ開設ス。栄一創立費ヲ扶助ス。
2款 其他ノホテル 2. 京都ホテル
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治22年
(1889年)
第14巻 p.412(DK140044k)
前田伊八等、京都ニ京都ホテルヲ開設ス。栄一創立費ヲ扶助ス。
28節 貿易
1款 日本輸出米商社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治20年
(1887年)
第14巻 p.413-415(DK140045k)
栄一、大倉喜八郎・安田善次郎・浅野総一郎等ト発起シ、資本金二十万円ヲ以テ、九州米ヲ精ラゲ外国ニ輪出セントスル日本輸出米商社ヲ創立ス。然レドモ経営宜シキヲ得ズ、二十二年ニ至リテ解散ス。
2款 匿名組合堀越商会
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明治27年2月1日
(1894年)
第14巻 p.416-421(DK140046k)
栄一、森村市左衛門等ト共ニ出資シ、堀越善重郎ヲ営業者トスル匿名組合堀越商会ヲ設立ス。
明治29年12月
(1896年)
第14巻 p.421-430(DK140047k)
堀越商会経営困難ニ陥ル。栄一資金ヲ融通シ営業ヲ監督シテ其維持ニ努ム。
明治37年7月16日
(1904年)
第14巻 p.430-432(DK140048k)
是日栄一、嗣子篤二ヲ代理人トシテ同日開催ノ堀越商会総会ニオイテ同会匿名組合規約ノ変更ニヨル営業継続承諾書ニ署名調印ノ件ヲ委任ス。
3款 青木商会
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治27年10月28日
(1894年)
第14巻 p.433-434(DK140049k)
栄一、尾高惇忠等ト本邦製藍業ノ改良ニ資スベク、青木直治等ヲ印度ニ遣シ、印度藍ノ景況ヲ調査セシム。直治等是日東京ヲ発シ、試ミニ印度藍八万五千円ヲ買入レ、翌年三月二十三日帰朝、販売ス。
明治28年10月16日
(1895年)
第14巻 p.434-436(DK140050k)
栄一、青木直治ニ資金ヲ貸付シテ、青木商会ヲ起シ、印度藍ノ輸入販売業ヲ営マシム。業績振ハズ、翌二十九年十二月十日限リ解散ス。
4款 日露貿易株式会社
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明治39年11月
(1906年)
第14巻 p.437-446(DK140051k)
栄一、大蔵大臣阪谷芳郎・農商務大臣松岡康毅・商工局長森田茂吉・通商局長石井菊次郎他数名ト共ニ料亭常磐屋ニ招カレ、下村房次郎ヨリ日露貿易株式会社設立計画ヲ聞ク。後コレガ発起人タルコトヲ承諾シ、馬越恭平・村井吉兵衛等ト共ニ創立事務ヲ援助セシモ、彼地代表ソロモン・ミンコフスキー歿シ、尋イデ大正二年下村房次郎マタ歿スルニ及ビ、事遂ニ止ム。
5款 其他ノ商社 1. 小野組糸方
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明治6年6月-7月(?)
(1873年)
第14巻 p.447-459(DK140052k)
是ヨリ先、小野組糸方ニ於テ浅野幸兵衛ヲ欧洲ニ遣ハシ、蚕卵紙ノ直輸出ヲ試ミシコトアリ。栄一当時官ニアリシモ、コノ企テニ関与セシモノノ如ク、情報蒐集ニ便宜ヲ与フル外、六年春、浅野ノ帰朝セル後ハ、生糸製方取調ノタメ官命滞欧中ナリシ渋沢喜作ヲ業務継続者トシテ推薦セシガ、喜作帰朝セルトキ既ニ栄一退官ノ後ナリシヲ以テ、栄一ノ後ヲ追ウテ退官セル喜作ヲ小野組糸方ノ総管古河市兵衛ノ参謀ニ推薦セリ。
明治7年4月
(1874年)
第14巻 p.459-463(DK140053k)
小野組糸方ニ於テ仏国リヨンニ支店ヲ設ケ、生糸ノ直輸出ヲ試ミントシ、生糸外国送荷取扱略則ヲ頒布、渋沢喜作コレガ任ニ当ラントス。蓋シ栄一前年来ノ指導ニ出ヅ。然レドモ事行ハレズシテ止ム。
明治7年8月
(1874年)
第14巻 p.463-465(DK140054k)
栄一、小野組糸方改革ノ議ニ参画ス。或ハコノ頃ヨリ監督役タルコトヲ委嘱セラレシカ。
5款 其他ノ商社 2. 先収会社
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明治7年
(1874年)
第14巻 p.465-471(DK140055k)
是ヨリ先六年五月、栄一、井上馨・益田孝ト共ニ退官セル後、井上・益田ハ同年十二月先収会社ヲ設立セルガ、ソノ前後栄一、同社ノタメ融資其他寄与スル所アリシモノノ如シ。明治九年七月三井物産会社創立後モ亦同ジ。
6款 生糸改会社
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治6年12月
(1873年)
第14巻 p.472-500(DK140056k)
横浜生糸改会社ノ発展ニ脅威ヲ覚エシ外商等、通商条約違反ヲ名トシ、外交団ヲシテ我ガ政府ニ、ソノ解体ヲ要求セシムルコトアリ。然ルニコノ社タル、曩ニ栄一官ニアリシ頃主張シテ設立セシメタルモノナルヲ以テ、大蔵少輔事務心得兼租税頭陸奥宗光、神奈川県権令大江卓及ビ会社重役等ノ依頼ヲウケ、大蔵卿大隈重信ヲ訪ヌル等、ソノ存続ニ尽力ス。
7款 蚕種紙買入所
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明治7年7月
(1874年)
第14巻 p.501-507(DK140057k)
是ヨリ先、欧洲ニ蚕病流行シ、蚕種ヲ本邦ニ求メシ結果、連年本邦蚕種生産ノ増加ヲ来セシガ、是年三月、春蚕製造凡積申立ニヨレバ、製種未曾有ノ巨額ニ昇ラントスル形勢アリ。政府、内務省達乙第二十三号ヲ発シ、之ガ抑制ヲ計リ、尋イデ六月、太政官布告第六十号ヲ発シ、蚕種紙免許印紙ノ国内用並ニ海外輸出用ノ区別ヲ撤廃スル等、ソノ海外輸出ヲ増大セシムルニヨリ生産過剰ニ伴フ国内従業者ノ危機ヲ未然ニ防ガントスル所アリ。然モナホ施策ヲ要スルアリ。ヨツテ栄一コノ頃陸奥宗光・原善三郎等ト諮リ、内務卿大久保利通・勧業権頭河瀬秀治・大蔵卿大隈重信・租税頭松方正義等ヲシテ県令会議又ハ蚕種大総代会議ヲ開カシメンコトヲ努ム。
明治7年8月4日
(1874年)
第14巻 p.507-508(DK140058k)
栄一、抄紙会社横浜分社陽其二ニ蚕種規則書弐千部ノ印刷ヲ註文ス。
明治7年8月
(1874年)
第14巻 p.508(DK140059k)
栄一、コノ頃蚕種貿易ニ関シ外務大丞塩田三郎、内務大丞河瀬秀治等ト折衝ス。
明治7年10月7日
(1874年)
第14巻 p.508-513(DK140060k)
是ヨリ先、全国ノ蚕種横浜ニ殺到シ、価格暴落、形勢重大ナルモノアリ。即チ古河市兵衛・原善三郎・小野善三郎・上原四郎左衛門・金子平兵衛・鈴木保兵衛等発起、横浜売込問屋、諸国蚕種製造方総代及ビ荷主商人等ト集議、是日、勧業頭河瀬秀治ニ出願シテ、翌々九日ヨリ蚕種紙買入所ヲ弁天通四丁目横町元伊豆蔵店ニ設ケ、買入蚕種紙ハ上物ヲ外国輸出ニ向ケ、他ハ焼棄スル計画ヲ立テ以テ蚕種貿易ノ挽回ニ努ム。
コノ事タル栄一ノ先見企画スル処ニシテ、主トシテ渋沢喜作・原善三郎・勧業頭河瀬秀治等ノ協力ニヨルモノナルガ、外交関係ヲ顧慮セルカ、陽ニハ専ラ商估ノ事トシ、両渋沢モ亦陰ニ事ニ従ヘリ。
明治7年12月23日
(1874年)
第14巻 p.513-545(DK140061k)
是ヨリ先、蚕種紙買入所ハ十月九日ヨリ十一月二十日マデ、蚕種紙四十四万八千四百十三枚ヲ買上ゲ、良質紙五千二百四十九枚ヲ除キ、他ヲ悉ク焼棄ス。而シテコレニ要セシ費用八万五千五百四十五円余ハ、実質上政府之ヲ負担セリ。是日栄一、勧業頭河瀬秀治ニ書翰ヲ送リ、遮般ノ蚕種貿易挽回方法ノ実行成績ニツキ、資料ヲ添付シテソノ結末ヲ報告ス。
8款 蚕種製造組合条例並蚕種製造組合会議局
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治7年11月2日
(1874年)
第14巻 p.546-548(DK140062k)
有力蚕種商人等、横浜港滞在中ノ地方蚕種製造業者一同ノ依頼ヲ受ケ、勧業寮ニ出願、次年度蚕種製造高制限設定方乃至各府県蚕種製造業者代表会議制度ノ確立方ヲ要望ス。
是ヨリ先、全国ノ蚕種横浜ニ殺到シ、価格暴落、拾収スベカラザルモノアリ。栄一等、コレヲ救済シ、兼ネテ爾後ノ教誡ニ資セントシテ蚕種ノ買入焼却ヲ行ヒシモ、ナホ次年度モ惨状反覆ノ惧ナシトセズ。同港滞在中ノ地方蚕種製造業者コレヲ憂ヘ、製造高制限設定ニヨリ混乱ヲ未然ニ防ガントシ、栄一ノ配慮ヲ悃願ス。栄一、原善三郎等ト協力、業者ヲ統合シテ請願ニ及バシメシガ如ク、ソノ願書モ栄一ノ起草ニカカル。
明治7年11月15日
(1874年)
第14巻 p.548-550(DK140063k)
原善三郎及ビ蚕種製造方総代等、栄一ノ起草セル願書ヲ内務省(勧業寮カ)ニ提出ス。蓋シ曩ニ同省勧業寮ニ出願セル事項ノ追請ナルカ。然モ事ノ遅々タルヲ以テ、栄一爾後モ屡々原等ノ依頼ヲ受ケ、小野組倒産ノ渦中ニアリシモ、之ガ進捗ニツキ尽力ス。
明治8年2月22日
(1875年)
第14巻 p.550-563(DK140064k)
太政官布告第三十二号ヲ以テ、新タニ蚕種製造組合条例並蚕種製造組合会議局規則発布セラル。思フニ本条例規則ハ栄一等ノ起案ニカカリ、栄一前年来蚕種製造業者ノ依頼ヲ受ケ尽力セル成果ナリ。
明治8年4月-5月
(1875年)
第14巻 p.563-596(DK140065k)
四月十五日蚕種製造組合会議局召集サレ、爾来討議ヲ続ケ、該年度春蚕種製造額ヲ約百七十四万枚ト定ムルコト、ホカ内国用蚕種取扱方申合規則、外国輸出用蚕種売捌方申合規則、横浜売込問屋ヘ掛合廉書等二十一箇条ヲ議決ス。栄一コノ間指導頗ル努ム。
明治8年10月13日
(1875年)
第14巻 p.596-607(DK140066k)
是ヨリ先、明治四年頃ヨリ欧洲ニ於テ養蚕術ノ改良ニ伴ヒ、蚕病衰退、漸次良好ノ蚕種ヲ出スニイタレリ。コレニ反シテ本邦ノ製種ハ逐年粗製濫造ニ流レ、シカモ高価ナルヲ以テ、前年秋欧洲商人ノ持帰リシ蚕種ノ売捌ハ頗ル不成績ナリキ。カクテ是年秋、欧洲商人ノ来朝スルモノ甚ダ少ク、蚕種製造組合会議局ノ決議高ヲ以テナホ過剰トシ、品質良好ナリシモ価格低調ヲ示ス。依ツテ十月中旬ヨリ十一月上旬ニワタリ横浜売込問屋総代及ビ滞在中ノ荷主屡々会同シ、之ガ対策ヲ協議、伊太利ヘ直輸出スルコトニ決シテ、ソノ費用ノ官給ヲ蚕種製造組合会議局規則ニヨル全国蚕種取扱所一同ヨリ勧業寮ニ出願ス。官許サズ。ココニ於テ市価更ニ惨落、徒ラニ外商ニ利ヲ得セシメ、弊前年ヨリ更ニ甚シカリシコトアリ。
是日売込問屋総代ノ内代表数名、栄一ヲ訪ヒ、ソノ考案ヲ求ム。
9款 蚕卵紙輸出問題
和暦(西暦)目次【綱文】資料リスト/本文
明治9年11月1日
(1876年)
第14巻 p.608-627(DK140067k)
是日栄一、益田孝・原善三郎ト共ニ蚕種抵当貸付所ヲ設ケ、蚕卵紙輸出ノ統制ヲ図ル。尋イデ下村善太郎・梅原親固ヲ伊太利ニ派遣シテ、抵当流品ヲ売却セシム。
明治10年6月1日
(1877年)
第14巻 p.627-636(DK140068k)
是日栄一、益田孝・原善三郎ト共ニ蚕種会議局委員宛ニ書翰ヲ送リ、前年蚕種紙輸出ノ成績宜シカラズ、且ツ欧洲ノ蚕病減退ノタメ日本産蚕卵紙ノ需用減少セルヲ以テ其輸出ニ期待スルコトナク製産ノ制限ニ努ムベキ旨ヲ勧告ス。