デジタル版「実験論語処世談」[33a](補遺) / 渋沢栄一
2. 孔子の政治的手腕
こうしのせいじてきしゅわん
[33a]-2
然し、魯王も遂に永く孔夫子を用ひる能はず、魯王と孔夫子との間に感情の衝突を来すに至りでもしたものか、斉から女の楽人を送つてきたのを機とし、孔夫子は憤然として魯を去つてしまはれ爾後仕ふるに足る明君に回り遇はず、僅に「春秋」を編し、之によつて「天下の乱臣賊子懼る」の精神上の権威を有せらるゝものとなり、自ら安んずるに至られたのであるが、政治の実際に活躍せんとして居られた時代には、自ら周の武王に対する周公を以つて深く任じて居られた事とて寤寐の間にも周公を忘れられなかつたものと想はれる。
然し、孔夫子が茲に掲げた章句に於て、「久しい哉、吾れ復た夢に周公を見ざることや」と曰はれて居るのは必ずしも「是れまでは随分屡々周公の夢を見たが、昨今は夢を見ぬやうになつてしまつた」といふ意味を談られたもので無く、夢を仮りて御自分の感慨を漏され、其の真意は時世の日々に益々非にして、自ら周公を以て任じ大に国政に貢献するところあらんとする孔夫子を、天下の王たるもの侯公たる者が、棄てて顧みぬのを諷されたものであるかも知れぬのだ。
- キーワード
- 孔子, 政治, 手腕
- 論語章句
- 【述而第七】 子曰、甚矣、吾衰也。久矣、吾不復夢見周公。
- デジタル版「実験論語処世談」[33a](補遺) / 渋沢栄一
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底本:『実業之世界』第15巻第1号(実業之世界社, 1918.01.01)p.104-106
底本の記事タイトル:実験論語処世談 第六十二回 孔子の政治的手腕 / 男爵渋沢栄一