デジタル版「実験論語処世談」(48) / 渋沢栄一

3. 徳川家康公の訓言

とくがわいえやすこうのくんげん

(48)-3

曾子曰。士不可以不弘毅。任重而道遠。仁以為己任。不亦重乎。死而後已。不亦遠乎。【泰伯第八】
(曾子曰く、士は以て弘毅ならざる可からず。任重くして道遠し。仁以て己が任と為す、亦重からずや。死して而して後已む、亦遠からずや。)
 此句も前の句と同じやうに非常に有名な句で、又読んで誠に気持ちの良くなるやうな句であるから、私共若い時から常に暗誦したものである。又屡〻書きもしたものである。
 弘毅ならざればの弘は、器量の充分寛広なることを云ふのであつて小さいことにコセコセしたり、些のことに立腹したりすることの無いのを云ふ。毅と云ふのは、堅忍不抜のことであつて、何事に対してもよく耐へ忍んで最後迄やり通すと云ふことである。
 そこで学問あり知識あるの士と雖も、此弘毅が無かつたならば、到底其任を果すと云ふことは六ケ敷と云ふのである。さらば其任として行ふ際の仁とは如何なるものであるか。仁とは人間最高の徳であつて凡ての事を理に当嵌めて行ひ、よく理に随つて繁栄せしめることである。例へば一国に就て云へば、政治の如き之れをよく行ひ、一家に於ては之れをよく整へ、又一つの事業に携はつては充分其効果を納めると云ふのが即ち之れである。然し斯様なことは非常に重大なことであつて、任として誠に重いものである。弘毅を欠くやうな士では到底為すことは出来ぬ。
 又重い任と云ふものは、束の間と雖も之れを怠るやうなことがあつてはならぬ。政治の事でも、少し怠ると云ふことがあれば直ぐ国が乱れると云ふことになり、事業も少し油断すると思はしい効果を挙げることが出来ぬ。一生を通じて少しの間断も無く、斯に心を用ひて行かねばならぬ。即ち強忍にして辛抱強く力めることが出来ねば、到底其徳を全うすることは出来ぬのである。故に此徳を全うしようとすれば生の有る限り努め力めねばならぬ。死んで後始めて其責任が無くなつて来る訳である。実に道は遠いと云ふ可きである。
 此重くして遠い任を果すには、何うしても寛弘にして強忍な弘毅の士でなければならぬ。で此句は非常に大切な句で、彼の徳川三百年の基礎を造られた家康公の如きも、此句から訓言を作られたのである。即ち「人の一生は重荷を負ひて遠き道を行くが如し。急ぐ可からず。不自由を常と思へば不足なし。心に望み起らば困窮したる時を思ひ出す可し。堪忍は無事長久の基、怒りを敵と知る可し。勝つことばかり知りて負けることを知らざれば、害其身に至る。己を責めて人を責むるな。及ばざるは過ぎたるより勝る」と云はれて居るのである。
 徳川家康公の如き、千軍万馬の中を往来された非常な尚武的な人のやうに世間では思つて居るが、其半面には斯う云ふ論語の句を基礎として訓言を作られる程、常に論語等も読まれ又大いに儒学を奨励されたのである。決して単なる尚武的の人と云ふことは出来ぬ。そこでよく世の中も治まり、又儒学が其当時から隆々として勃興して来たのである。藤原惺窩の如き、林羅山の如き、代表的の人物が続々として著はれたと云ふことは、徳川家康が如何に学問を重ぜられ、又充分政治を行ふ計画の行き届いて居たかが知られる。

全文ページで読む

デジタル版「実験論語処世談」(48) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.372-376
底本の記事タイトル:二九九 竜門雑誌 第三七九号 大正八年一二月 : 実験論語処世談(四十八回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第379号(竜門社, 1919.12)*回次表記:(四十七回)
初出誌:『実業之世界』第16巻第11号(実業之世界社, 1919.11)