デジタル版「実験論語処世談」(53) / 渋沢栄一

2. 予の実業界に身を投ぜし所以

よのじつぎょうかいにみをとうぜしゆえん

(53)-2

 私の実業界に立つたのは、決して自分の富を殖さうとか、大に栄達しようとかいふ為めではない。己惚の申分かも知れぬが、自分の考へでは、日本も諸外国と交際を結び通商を開始する以上は、到底維新前の様な有様では駄目である。是非一新しなければならぬ。私は此の目的の為めに身を実業界に投じたのであつて、栄達や富といふ事は少しも念頭になかつた。それで株式組織の合本法をやつて、明治六年第一銀行を創立したのである。申す迄もなく仕事をするには信用は勿論であるが、相当の資力がなければ出来ない。されば良い株を買ひ、相当の給料も貰ひ、事実に於て財産は減るよりも増して来るが、然し之は本目的ではない。又一人一役といふがそれは時と場合の問題である。
 例へば、新開地に新しく商売を始めると仮定すれば、最初は分業的に出来るものでない。呉服太物類も置かなければならぬし、其他種々の日用品なども商はねばならぬ。之れは止むを得ない事である。日本の実業界は未だ初歩であるから、恰かも新開地と同様である。それで商業、運輸、保険、工業――工業にしても絹糸、紡績、麻糸其他種々あるが――之等の諸事業に関係して居るのであるが、但し之には時機があるので私は適当の時機を待つのである。それから給料のみでは今日の産を成す筈はないといはれるが、例へば十万円で或る有望な株を買つても、其の時機が来れば二十万円か三十万円位になる。産を殖すのは目的ではないが、事業の関係上、相当の資金が必要であり、斯かる経路で自然多少の財産が出来たのであるけれども、それは断じて目的ではない。兎に角、私の言ふ事が真実か真実でないか、それは私の今後の行動を見られると最も明瞭である。

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キーワード
渋沢栄一, 実業界, , 所以
デジタル版「実験論語処世談」(53) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.433-435
底本の記事タイトル:三一五 竜門雑誌 第三九六号 大正一〇年五月 : 実験論語処世談(第五十二《(三)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第396号(竜門社, 1921.05)
初出誌:『実業之世界』第18巻第4号(実業之世界社, 1921.04)