デジタル版「実験論語処世談」(59) / 渋沢栄一

2. 孔子四門人の希望を評す

こうししもんじんのきぼうをひょうす

(59)-2

子路。曾晳。冉有。公西華。侍座[坐]。子曰。以吾一日長乎爾。毋吾以也。居則曰。不吾知也。如或知爾。則何以哉。子路率爾而対曰。千乗之国。摂乎大国之間。加之以師旅。因之以饑饉。由也為之。比及三年。可使有勇。且知方也。夫子哂之。
求爾何如。対曰。方六七十。如五六十。求也為之。比及三年。可使足民。如其礼楽。以俟君子。
赤爾何如。対曰。非曰能之。願学焉。宗廟之事。如会同。瑞章甫。願為小相焉。
点爾何如。鼓瑟希。鏗爾。舎瑟而作。対曰。異乎三子者之撰。子曰何傷乎。亦各言其志也。曰。莫春者春服既成。冠者五六人。童子六七人。浴乎沂。風乎舞雩。詠而帰。夫子喟然歎曰。吾与点也。
三子者出。曾晳後。曾晳曰。夫三子者之言。何如。子曰。亦各言其志也已矣。曰。夫子何哂由也。曰。為国以礼。其言不譲。是故哂之唯求則非邦也与。安見方六七十。如五六十。而非邦也者。唯赤則非邦也与。宗廟会同。非諸侯而何。赤也為之小。孰能為之大。【先進第十一】

(子路。曾晳、冉有、公西華、侍坐す。子曰く。吾が一日爾より長ぜるを以て、吾を以てする毋れ。居には則ち曰く、吾を知らずと。如し爾を知るあらば、則ち何を以てせんや。
子路率爾として対へて曰く。千乗の国、大国の間に摂まり、之れに加ふるに、師旅を以てし、之れに囚るに饑饉を以てす、由や之れが為め、三年に及ぶころ、勇有りて且つ方を知らしむ可しと、夫子之れを哂ふ。
求爾は如何。対へて曰く。方六七十、如《もし》くは五六十。求や之れを為めて、三年に及ぶ比、民を足ら使《し》む可し。其の礼楽の如きは、以て君子を俟たん。
赤爾は如何。対へて曰く。之を能くすと曰ふに非ず、願くは焉を学ばん。宗廟の事如くは会同、端、章甫して、願くは小相と為らん。
点爾は如何。瑟を鼓く事希む。鏗爾として瑟を舎きて作ち、対へて曰く。三子者の撰に異なれり。子曰。何ぞ傷まん。亦各〻其の志を言ふなり。曰く。暮春には春服既に成り、冠者五六人、童子六七人沂に浴し、舞雩に風じ、詠じて帰らん。夫子喟然として嘆じて曰く吾は点に与せん。
三子者出づ。曾晳後る。曾晳曰く。夫の三子者の言は如何と。子曰く。亦各々其の志を言ふのみ。曰く。夫子何ぞ由を哂ふや。曰く。国を為むるに礼を以てす。其言譲らず。是の故に之を哂ふ。唯求は則ち邦に非ざるか。安んぞ方六七十、若くは五六十にして邦に非ざる者を見ん。唯赤は則ち邦に非ざるか。宗廟会同、諸侯に非ずして何ぞ。赤や之が小を為さば、孰れか能く之れが大を為さん。)
 此の章は孔子が其の門人、子路、曾晳、冉有、公西華の四人が側に居つた際に、各人にその志を述べさせ、且つ後に之れを評されたのであるが、孔子は此の四人を顧みて言ふには、「私は御前等より一日でも年が長じて居るから、私を遠慮して言はうと思ふ事を憚かつたりしてはなりませぬぞ、さて御前達は常に家に居つて、吾才は世に用ひらるるに足るけれども、吾を知る者がないと言はれるが、今若し明君があつてお前達の才を能く知つて用ひて呉れるとしたならば、如何なる用をなさらうとするか、定めしそれぞれ抱負があるだらうから、私の為に其の希望を述べて見なさい」と問うた。之れが此の章の第一段である。これから四子が各〻其の思ふ事を答へた。

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デジタル版「実験論語処世談」(59) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.489-492
底本の記事タイトル:三三九 竜門雑誌 第四一二号 大正一一年九月 : 実験論語処世談(第五十七《(九)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第412号(竜門社, 1922.09)
初出誌:『実業之世界』第19巻第3号(実業之世界社, 1922.03)