デジタル版「実験論語処世談」(59) / 渋沢栄一

1. 孔子佞弁者を誡む

こうしねいべんしゃをいましむ

(59)-1

子路使子羔為費宰。子曰。賊夫人之子。子路曰。有民人焉。有社稷焉。何必読書。然後為学。子曰。是故悪夫佞者。【先進第十一】
(子路子羔をして費の宰たらしむ。子曰く、夫の人の子を賊《そこな》ふと。子路曰く。民人有り。社稷有り。何ぞ必ずしも書を読んで然る後に学べりと為さん。子曰く。是の故に夫の佞者を悪む。)
 此の章句は孔子が所謂佞弁を戒められたのであつて、子路が兼ねて季氏に仕へて居つたので、同門の子羔(高柴)を推薦して季氏の領有の費といふ地方の役人にした。日本で言へば昔の郡奉行といふやうな役である。孔子は之れを聞いて、子路の子羔を推薦したのは彼をして又学ぶ能はざるに至らしむるもので、其人を害ふものであると言はれた。蓋し子羔は「柴也愚」と評せられた人で、変通の才に乏しく重厚に過ぐる性質であつたから此の様な繁劇な事務に当る事は、子羔には少しく荷が重過ぎる。加ふるに為政の術にも通ぜざる処があるから其の失敗あらんことを恐れ、夫の人の子を賊ふと咎められたのである。之れを聞いた子路は曰く、邑宰となれば民人あつて之れを治め、社稷があつて之れを祭るを職とするのである。されば之れ実地についての活学問である。必ずしも書を読む許りが能ではない。一方に実務に当り一面に於て学んでこそ、始めて実学実才は成るのである。然るに夫子が子羔を害ふと言はるるは聊か当らないやうであると弁解した。孔子は之れを聞いて、斯かる理窟を作つて自分の非を掩はんとする者があるから、私は平常佞弁の者を憎むのである、と言はれたのである。
 第三者からすれば、子路の言ふ処も一応は理窟があるやうに思はれる。然し子路が初め子羔を推挙した時には「何必読書然後為学」といふ事は思ひ及ばなかつたのであるが、孔子に叱られて、自分の非を改めようとはせず、却つて理窟を考へ出して弁解した。孔子は之れを能く見抜いて居られたので、佞弁の者を憎むといつて深く之れを誡められたのである。此のやうな性格の人は今日も仲々多い。何か自分のした事に過失があつて忠告をされた時に、アー之れは私の過ちであつたと、虚心坦懐に其の非を改めるとよいけれども、イヤ君はさう言ふけれども、之れは斯く斯くの理由であるから俺のやつた事は決して間違ひではないんだと理窟を捏ねて自分の非を飾り立てようとする。所謂弁舌によつて誤間化さうとする、かういふ風の人が今日頗る多いといふ事は誠に遺憾であると思ふ。

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デジタル版「実験論語処世談」(59) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.489-492
底本の記事タイトル:三三九 竜門雑誌 第四一二号 大正一一年九月 : 実験論語処世談(第五十七《(九)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第412号(竜門社, 1922.09)
初出誌:『実業之世界』第19巻第3号(実業之世界社, 1922.03)