デジタル版「実験論語処世談」(59) / 渋沢栄一

3. 四子各〻志を述ぶ

ししおのおのこころざしをのぶ

(59)-3

 孔子の側に居つた四人の門弟の内で、子路は最も年長者であつて所謂首席である。加ふるに其の人と為りが謙譲の風格を備へて居らぬ人であつたから、孔子の質問に対し膝を進め得意然として答へて曰ふには、若し茲に或る小さい国が大国の間に挟つて居つて常に脅威せられるのみならず、大国は屡〻軍兵を指し向けて征服しようとして居り、加ふるに饑饉があつて国民の糧食が足らず、内外困難を極めて居るといふ難局であつても、私が此国に用ひられて政治を司る事になれば、三年の後には其の民をして勇を好み、義に向ふ事を知らしめるやうにして見せますと言つた。即ち内外の危難を悉く除く事が出来ると言つたのである。孔子は之れを聞いて唯微笑して何とも言はれなかつた。
 次に孔子は冉有に向ひ、お前の志はどうであるかと促されたので、冉有は四方六七十里、或は五六十里の小国があつて、私が其を治めるならば、三年も経つ頃には民を富ましめて衣食住に事欠かぬやうにする事が出来ようと思ひます。私の出来るのは只此の程度であつて、礼楽を以て民を教化するが如きは、私の能くする所でありませぬから、他の賢者を待つて行ふ可きでありませうと答へた。冉有は元来謙譲な人であつたが、子路が大言して孔子に笑はれたのを見たので、一層謙遜して斯く言つたのであつた。
 孔子は更に公西華の志を問うた。公西華は平生礼楽の事に志して居つたのであるが、冉有が礼楽の如きは君子を俟つと言つた話なので謙遜して、私は礼楽の事を能くすると申すのではありませぬが、唯之れを学ばうと思ふのであります。そして出来るならば、祭祀のことや或は諸侯の会同のある際などは、習ひ覚えた礼楽を用ゐる為めに小相となつて君侯の役に立てたいと願つて居りますと答へた。
 最後に孔子は曾晳に向つて其の意見を尋ねた。年齢や席順から言へば子路の次ぎに曾晳が言ふべき処であつたけれども、瑟を弾いて居つたので最後に問はれたのである。処が曾晳は瑟の手をやめて之れを傍らに置き、座を起つて答へて曰ふには、私の志は三人の方々が述べられたのとは大に異つて居りますと躊躇してゐる。それで孔子は、異つて居つても何も憂ふるに足らぬ。唯各〻が其の志を述べるのではないかと重ねて言はれたので、さらばと曾晳の言ふには、頃は春の末つ方新らしい春の服装も出来身軽になり、大人五六人、少年六七人を伴ひて郊外に散歩し、温泉に浴し、又は樹蔭に涼みて一日を遊び暮らし、共に詠じて先生の門に帰つたならば定めて愉快だらうと思ひます。之れが私の望む処でありますと答へた。蓋し曾晳の胸中には悠然として徳を養ひ、国に道あれば進み、道なければ退き、其の力を小事に用ひたくないといふ風があつた。孔子は之れを聞いて喟然として歎じて、吾も亦曾晳の志に等しいと言はれたのである。

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キーワード
四子, 子路, 冉有, 公西華, 曾晳, , 述ぶ
デジタル版「実験論語処世談」(59) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.489-492
底本の記事タイトル:三三九 竜門雑誌 第四一二号 大正一一年九月 : 実験論語処世談(第五十七《(九)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第412号(竜門社, 1922.09)
初出誌:『実業之世界』第19巻第3号(実業之世界社, 1922.03)