デジタル版「実験論語処世談」(58) / 渋沢栄一

8. 孔子季氏を諷刺す

こうしきしをふうしす

(58)-8

季子然問。仲由冉求。可謂大臣与。子曰。吾以子為異之問。曾由与求之問。所謂大臣者。以道事君。不可則止。今由与求也。可謂具臣矣。曰。然則従之者与。子曰。弑父与君。亦不従也。【先進第十一】
(季子然問ふ。仲由、冉求は、大臣と謂ふ可きかと。子曰く。吾れ子を以て異を之れ問ふと為す。曾ち由と求とを之れ問ふ。謂はゆる大臣は、道を以て君に事へ、不可なれば則ち止む。今由と求とは、具臣と謂ふ可きのみと。曰く。然らば則ち之に従ふ者か。子曰く。父と君とを弑するには、亦従はじ。)
 季子然は、桓子の弟で魯の顕職に在りし人であるが、孔子の高弟たる仲由、冉求の二人を召し抱へて臣として居つたので、常に悦び誇つて居つた。或日季子然は孔子に向つて言ふには、「仲由、冉求の二人は大臣の資格を具へた人と謂つて差支ありませぬか」と聞いた。孔子は之れに答へて、「貴方は何を聞かれるかと思つたら、変つた事を尋ねられるものですね。大臣たるの人物を問はれるからには、才徳兼備した凡人の及ばぬ人物を挙げて問はれる事と思つたのに、由と求とを之に擬せんとするはどうした事です。所謂大臣の器を具へた者は、正しき道を以て君に事へ、君をして礼義により仁政を行はしむる様にし若し君其の言を聴かず、道を行ふ事の出来ない時には、節を屈して主君の意に従ふやうな事をせず、官を罷めて去るのみである。由と求の二人に至つては到底大臣の資格がない。只一官一職の才能を有するの臣といふ可きである」と言はれた。季子然重ねて、問うて云ふには、「二人とも大臣たるの人物でないならば、即ち如何なる事でも主君の欲する処に従つて背く事なく、身の栄達を図るものであるか」と反問した。孔子は、「イヤ彼の二人は大臣たるの器ではないけれども、君臣の大義に於ては平生よく之れを聞いて居る。故に小さい事は主君の意に従ふであらうが、子として父を弑し、臣として君を害するが如き大逆に至つては、彼の二人と雖も其の主の意に従ふやうな事は断じてない」と言下に答へられた。
 之れは要するに季子然の問に対して、由と求とは具臣であるが、君父の大節に至つては奪ふべからざるものあるを言ひ、暗に季氏の不臣の心を挫いたのである。当時魯の顕臣であつた季氏は、次第に魯国の政治を擅にして、稍もすれば主君の権威を奪ひ、魯の国を自分のものにしようといふ気振りがあつたのである。それでゐて表面は仁政を布くと見せかけて居つたのであるが、之れを見抜いてゐられる孔子は、先づ仲由、冉求の二人を軽んじて季氏の矜誇の心を抑へ、然して最後に仲由、冉求の二人は大臣の器でないけれども、道を学んで能く大義を知る者であるから、君父を弑するが如き悖逆には決して之れが爪牙となるものでないと二人の節義を称し、暗に季氏の邪謀を阻止せんとせられた。
 孔子が人を見る明に長じて居つた事は、これまでも屡〻述べた如くであるが、折に触れ、時に際し、之れを正しい道に導かうとして居られた事は、此の章句の中にもよく窺ひ知る事が出来る。

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デジタル版「実験論語処世談」(58) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.482-488
底本の記事タイトル:三三七 竜門雑誌 第四一〇号 大正一一年七月 : 実験論語処世談(第五十六《(八)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第410号(竜門社, 1922.07)
初出誌:『実業之世界』第19巻第1,2号(実業之世界社, 1922.01,02)