デジタル版「実験論語処世談」(58) / 渋沢栄一

4. 言論のみでは人物が分らぬ

げんろんのみではじんぶつがわからぬ

(58)-4

子曰。論篤是与。君子者乎。色荘者乎。【先進第十一】
(子曰く。論篤に是れ与せば。君子者か。色荘者乎。)
 色荘者といふのは、体裁のよい所謂好言令色の人を言ふのである。即ち此の章は言葉のみでは其の人物が分らない、真に其の人間を知るには其の行ひを見なければ分らぬといふ事を言はれたのである。「能言真君子、善所即大丈夫也」といふ句があるが、兎角議論だけを聞いて其人を信ずると、往々にして其人物の鑑定を誤る事がある。
 近時、此の類の事が頗る多い。私の処には始終各方面の種々な方々が訪問されるが、其の中には立派な議論をし、又、結構な企てをして相談に来られる人も尠くないけれども、後日になつて見ると其の言ふ事が少しも行はれてゐない例が尠くない。一例を挙げると、労働会館を設けるといつて有志の賛成を請ふ人があると仮定する。其の趣旨は頗る結構の事であるし、是非其の目的を達成せしめたいと蔭ながら思つて居るに拘らず其の事を一向実行しないといふ風な人が多い。甚だしきに至つては、之れを口実にして、其実は自分の糊口の資に供してゐる人もある。之れは悉くの人がさうであるといふ訳ではないけれども、世間には斯かる例が決して尠くない。議論ばかりでウカと人を信ずる事の出来ない所以である。現に私自身もかう云ふ実例に屡〻遭遇した事がある。斯かる事は一面から言へば、人を見るの明がないといふ事にもなるけれども、世人は能く此点に注意すべきであると思ふのである。

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デジタル版「実験論語処世談」(58) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.482-488
底本の記事タイトル:三三七 竜門雑誌 第四一〇号 大正一一年七月 : 実験論語処世談(第五十六《(八)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第410号(竜門社, 1922.07)
初出誌:『実業之世界』第19巻第1,2号(実業之世界社, 1922.01,02)