5. 孔子門弟薫陶の一例
こうしもんていくんとうのいちれい
(58)-5
子路問。聞斯行諸。子曰。有父兄在。如之何。其聞斯行之。冉有問聞斯行諸。子曰。聞斯行之。公西華曰。由也問。聞斯行諸。子曰。有父兄在。求也問。聞斯行諸。子曰。聞斯行之。赤也惑。敢問。子曰。求也退。故進之。由也兼人。故退之。【先進第十一】
(子路問ふ。聞くままに斯に諸《これ》を行はんやと。子曰く。父兄在すこと有り。之を如何ぞ。其れ聞くがままに斯に之を行はん。冉有問ふ聞くままに斯に諸を行はんやと。子曰く。聞くままに斯に之を行へと。公西華曰く。由や問ふ。聞くままに斯に諸を行はんかと。子曰く。父兄在すこと有りと。求や問ふ。聞くままに斯に諸を行はんやと。子曰く。聞くままに斯に之を行へと。赤や惑ふ。敢て問ふ。子曰く。求や退く。故に之を進む。由や人を兼ぬ。故に之を退くと。)
此の章は孔子が其の門弟を訓ふるに、其の人の性格によつて導かれた実例であつて、子路が、「何事も義なることを聞くがままに行うても宜しう御座いますか」と質問したに対し、孔子は之に答へて、「家に父兄の在る以上は、宜しく之に聞き、命を受けて然る後之れを行ふべきである。何ぞ自分の一量見を以て聞くがままに行ふ事が出来ようぞ」と言はれた。然るに冉有の同じ問に対して孔子は、聞くがままに行うて差支ないと答へられた。そこで公西華は疑惑を抱き、同じ問に対して子路には父兄の在る以上は之れに聞きて行ひ、意のままに行うてはならぬと言はれ、冉有には聞くがままに行へと仰せになつたが、一体どつちに従ふ可きのものでせうかと質問したのである。孔子は公西華の疑惑もさる事ながら、冉有は退き守るの風がある、故に進んで勇ましめようとしたのであるが、子路は其の勇が常人に優つて居るから、退守の風を養はしめるために彼の様に答へたのであると説明された。即ち其の過ぐるを退け、其の及ばざるを進め、之れをして中道を得せしむるのが孔子の訓へであつて、性格を能く見分けて適当の薫陶をする処が、之れ人の師として孔子の偉い処である。(子路問ふ。聞くままに斯に諸《これ》を行はんやと。子曰く。父兄在すこと有り。之を如何ぞ。其れ聞くがままに斯に之を行はん。冉有問ふ聞くままに斯に諸を行はんやと。子曰く。聞くままに斯に之を行へと。公西華曰く。由や問ふ。聞くままに斯に諸を行はんかと。子曰く。父兄在すこと有りと。求や問ふ。聞くままに斯に諸を行はんやと。子曰く。聞くままに斯に之を行へと。赤や惑ふ。敢て問ふ。子曰く。求や退く。故に之を進む。由や人を兼ぬ。故に之を退くと。)
- デジタル版「実験論語処世談」(58) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.482-488
底本の記事タイトル:三三七 竜門雑誌 第四一〇号 大正一一年七月 : 実験論語処世談(第五十六《(八)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第410号(竜門社, 1922.07)
初出誌:『実業之世界』第19巻第1,2号(実業之世界社, 1922.01,02)