デジタル版「実験論語処世談」[69a](補遺) / 渋沢栄一

4. 之れを如何せん如何せん

これをいかんせんいかんせん

[69a]-4

子曰。不曰如之何如之何者。吾未如之何也已矣。【衛霊公第十五】
(子曰く之れを如何せん、之れを如何せんと曰はざる者は、吾之れを如何ともすることなきのみ。)
 本章は思慮なき人はどうすることも出来ないと言ふことを説いたのである。
 凡そ事を為す初めに於て、之れをどうしやう、之れをどうしたらよいかと、深思熟慮してやるがよい。さうすれば、行ふたことにも過ちがなく、能くその事を成し遂げる。もしさうでなかつたならば、その事の失敗は勿論のこと、斯の如き人に対しては如何ともすることも出来ぬのである。
 能く考へる人即ち深思熟慮する人であれば、話をしても要領を得させることが出来るが、さうでない人は私もどうするも出来ないと言はんければならぬ。今日の此の事はどうしやう、どうしたらよいかと能く考へなければならない。然るに今日の人は少しも考へるやうなことをせずに、どうにかなるであらうとか、又体裁のよいことを言つたりして浮辷りばかりして居る。而もそれが時代を一貫して居るやうに思はれる。真にどうしやう、かうしやうと考へて事柄を論断して居る者は致つて少い。だから何でも根本的に処理すると云ふことも少いのである。
 今日の貿易、金融其他の諸問題を見ても、どうしたらよいかと云ふやうな状態に置かれて居る。この状態になつたのも要するに、最初にどうしやう、どうしたらよいかと云ふことを考へず、場当りとか、その時の都合次第にやつたからである。今日になつては私もそれを如何ともするなきなりと言ひ度ひ。
 先づその事に当るや己自身を打込んで、欠点をも長所をも見て、それに処する方法を講じなければならない。成行に任せる御都合次第と云ふやうなことは、悪く言へば軽薄な行為であつて、こんなことで到底世の中の進歩と云ふことは出来ぬ。
 現在の政治省の言ふて居ることの実際を見ても判る。国の主なる産業は蚕糸、綿糸であるが、是等の事情を見れば当業者は勿論政治省の人は果して経済を如何せんと云ふことを考へて居るかどうか、どうも考へて居ないやうに思ふ。こんな人間には吾々はそれを如何せんやと言はねばならぬ。

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デジタル版「実験論語処世談」[69a](補遺) / 渋沢栄一
底本(初出誌):『実業之世界』第21巻第11号(実業之世界社, 1924.11)p.17-19
底本の記事タイトル:実験論語処世談 第二百六十三回 自ら厚うして薄く人を責めよ / 子爵渋沢栄一