1. 空米相場の許否論
くうまいそうばのきょひろん
(33)-1
維新後、空相場――近頃でいふ延取引の事で、当時まだ株式の売買は無かつたから米に就てだが――実際米を買はうといふのでも無いのに買ふ契約をしたり、又売る米を持つて居りもせぬ癖に売る契約を結んだりする空米相場を、政府が果して公許したものだらうか或は禁止すべきものだらうかと、当時随分議論があつたのである。玉乃氏は全然之を禁止してしまはねば、国民の賭博性を助長する恐れがあるからとて盛んに其の禁止を主張されたものだ。私は玉乃氏とは反対の意見で人には現物の取引をする外に、なほ景気を売買したがる性分があるもの故、景気を売買する空相場までも如何に賭博に類似するからとて禁止してしまつては、却て人心に悪影響を及ぼし、法網を潜つて盛んに賭博を行ふに至るが如き危険を醸す恐れある故、今日でいふ延取引即ち空相場は之を禁止せず、公許する方が治政の良方便であるとの論を主張したのだ。この意見の杆格から、私と玉乃氏とは至つて熟懇の間柄なるにも拘らず絶えず空相場の許否に関する議論を戦はし、両々相持して降らなかつたのである。
- デジタル版「実験論語処世談」(33) / 渋沢栄一
-
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.235-239
底本の記事タイトル:二五五 竜門雑誌 第三五八号 大正七年三月 : 実験論語処世談(卅三回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第358号(竜門社, 1918.03)
初出誌:『実業之世界』第14巻第24号(実業之世界社, 1917.12.15)