デジタル版「実験論語処世談」(33) / 渋沢栄一

1. 空米相場の許否論

くうまいそうばのきょひろん

(33)-1

 維新以来私が交際して来た諸名士のうちには、義を聞いても徙る能はず、不善と知つても改むる能はざる人もあつたが、また義を聞けば直ぐ徙り、不善と知れば直に改むる性質の人も決して尠く無かつたのである。就中、明治十九年八月大審院長で歿した玉乃世履の如きは、義を聞けば直ぐ徙り、不善と知れば直に改むるに躊躇しなかつた人であるかの如く思はれる。玉乃世履は素と玉乃東平と称し、私よりも十歳ばかりの年長者で、私が初めて明治政府へ仕官した頃には私よりも官等が上であつたのだが、私は意外に大蔵省で重用されたので、私が退官する頃には却て私の方が玉乃氏よりも官等が進んで居つたのである。玉乃氏は至つて謹直な人で、大審院長で歿せられたが、洋学を知らず、又初めから法律を学んだ人でも無かつた。素と武官出身で漢学を修めた人だ。然し頭脳は頗る明晣で、法理を解するに敏であつたから、名判官の誉れを得たのである。周防の岩国に生れ、京都に上つて斎藤拙堂などに就き漢学を学び、頼三樹、僧月照なぞとも交り、吉田松陰にも会し、幕府が毛利家を討たうとした時には農兵を率いて一方の守備に当つたものだ。明治二年七月に民部省聴訟司知事聴訟権正に任ぜられたのが、玉乃氏が法官生活に入る抑〻の手はじめである。
 維新後、空相場――近頃でいふ延取引の事で、当時まだ株式の売買は無かつたから米に就てだが――実際米を買はうといふのでも無いのに買ふ契約をしたり、又売る米を持つて居りもせぬ癖に売る契約を結んだりする空米相場を、政府が果して公許したものだらうか或は禁止すべきものだらうかと、当時随分議論があつたのである。玉乃氏は全然之を禁止してしまはねば、国民の賭博性を助長する恐れがあるからとて盛んに其の禁止を主張されたものだ。私は玉乃氏とは反対の意見で人には現物の取引をする外に、なほ景気を売買したがる性分があるもの故、景気を売買する空相場までも如何に賭博に類似するからとて禁止してしまつては、却て人心に悪影響を及ぼし、法網を潜つて盛んに賭博を行ふに至るが如き危険を醸す恐れある故、今日でいふ延取引即ち空相場は之を禁止せず、公許する方が治政の良方便であるとの論を主張したのだ。この意見の杆格から、私と玉乃氏とは至つて熟懇の間柄なるにも拘らず絶えず空相場の許否に関する議論を戦はし、両々相持して降らなかつたのである。

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キーワード
空米相場, 許否,
デジタル版「実験論語処世談」(33) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.235-239
底本の記事タイトル:二五五 竜門雑誌 第三五八号 大正七年三月 : 実験論語処世談(卅三回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第358号(竜門社, 1918.03)
初出誌:『実業之世界』第14巻第24号(実業之世界社, 1917.12.15)