デジタル版「実験論語処世談」(32) / 渋沢栄一

12. 無理を言ひ張る人あり

むりをいいはるひとあり

(32)-12

 然し、世の中は十人十色で、孔夫子の如く自分の非を知れば毫も之を弁護する事無く、直に改むる人ばかりでは無い。理が非でも無理矢理に自分の言ひ分を貫徹しようとする者もある。斯ういふ人は如何に才智が勝れて居つても、又その人に非凡の技能があつても、世間の反感を買ひ、却て自分の志を行ひ得られ無くなるものだ。之は昔の一ト口ばなしにあることだが、或る男が銭湯に出かけ、湯に這入らぬうちから熱いものとばかり思ひ込み三助を呼んでウメて呉れろと頼むと、三助は湯槽に手を突つ込んで見て、熱いどころか微温くなつてるのを知つたので「微温いからウメるには及びません」といふと、その男は「微温い?微温くつても拘はぬからウメろ」威猛高になつて命じたといふ譚がある。如何にも妙な処へ意地を張つて我意を貫徹しようとしたものだと思ふが、斯んな傾向の人は決して世間に少く無いのである。宋の神宗皇帝の時代に、盛んに新法新制を施いた王安石なぞが猶且この種類の人物であつたらしく思へる。王安石が地を割いて遼に与へ、「将に取らんと欲すれば必ず姑く之を与へん」と叫び、東西七百里の地を失つたなぞは明かに能く王安石の性質を顕はしたものだ。
 人にはみな妙な癖のあるもので、他人の失言や無理な行為は之を彼是と非難するが、自分の言動には如何に失言や無理があつても、之を弁護せねばならぬ義務があるかの如く心得て、直に何んの彼んのと付けられもせぬ理窟を無理に付けて、我が非を無理に遂げようとしたがるものだ。如何に三百理窟を捏ねあげて、一時自分の非を糊塗して見たからとて、失言は依然として失言、無理な行為は依然として無理な行為である。そんな馬鹿な役にも立たぬ事に潰す暇があつたら、それよりも失言を早く取消し、無理な行為に対しては改悛の情を示し、以後その過ちを再びせぬやうに心懸けるが何よりである。然らばその人は、自分の失言を弁護したり、無理な行為に理窟をつけて烏を鷺と言ひくるめるよりも遥にその人品を高める事になる。自分で自分の失言非行を無理な理窟で弁護するほど、世の中に見つともないものは無いのである。

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キーワード
無理, 言い張る,
デジタル版「実験論語処世談」(32) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.223-233
底本の記事タイトル:二五二 竜門雑誌 第三五七号 大正七年二月 : 実験論語処世談(第卅二回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第357号(竜門社, 1918.02)
初出誌:『実業之世界』第14巻第20-22号(実業之世界社, 1917.10.15,11.01,11.15)