デジタル版「実験論語処世談」(32) / 渋沢栄一

3. 王政復古は口実に非ず

おうせいふっこはこうじつにあらず

(32)-3

 明治維新は王政復古だといふことになつてるが、これは維新の改革を実行するに当つて特に設けた口実ではない。歴史を能く知らぬ人々のうちには、何んでも昔にあつた事を楯にして徳川幕府に当らねば到底改革を断行し得らるるもので無いからとて、人間に古を好む癖があるのに乗じ、王政復古を口実にして薩長が幕府を倒しでもしたかの如くに思つてる者もあるが、決して爾うで無い。当時の事情は幕府に朝廷より御預りして居つた政権を有効に運用してゆけるほどの力が無くなつてしまつたので、藤原氏以前の古へに復り、朝廷の御親政となるより他に道が無かつたのである。必ずしも「信じて古を好む」といふ処に万民の心が一致したから維新の鴻業が成就せられたのでは無い。然し、「述べて作らず」であつたと謂へば、謂へぬでも無からう。要するに大勢が之を然らしめたもので、維新頃には幕府に昔の如き力が無くなつてたと反対に、朝廷の公卿に岩倉、三条、大原をはじめ人傑があつたものだから、自然、政権も幕府より朝廷へ奉還せらるる事になつたのである。
 抑〻朝廷より政権の御委任を受け、人臣の身を以て之が運用の衝に当るに至つたのは、朝廷に皇位の事からいろいろ複雑なる事情を生じその結果、外戚の藤原氏が政治を取るやうになつたのが初まりで、文徳天皇の崩御に当り、僅か九歳に渡らせらるる皇太子の惟仁親王が御即位あらせられ、天安二年(千五十九年前)冬嗣の子藤原良房が清和天皇の摂政に立ち、天皇に代つて政を執るやうになつたのに其端を発するのだ。爾来藤原氏は礼楽だけを朝廷に残し、兵馬の権を我が手に収め、之によつて国内の政治を行つて来たのであるが、藤原氏とても自ら其の兵馬の権を行ひ得なかつたので、藤原氏が兵馬の権を執行する道具に使つて来た機関が、平氏と源氏とである。
 この源平両氏とても俗に源氏の嫡流を「清和源氏」と称し、又謡曲「船弁慶」なぞに現れて来る平知盛の幽霊が「これは桓武天皇九代の後胤平知盛の幽霊なり」と名乗を揚ぐるほどで、共に其祖先は朝廷にあるのだが、兎に角、藤原氏は平氏と源氏とを左右に使つて、これにより兵馬の権を確立し、国内の安康を謀つて居つたものである。

全文ページで読む

デジタル版「実験論語処世談」(32) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.223-233
底本の記事タイトル:二五二 竜門雑誌 第三五七号 大正七年二月 : 実験論語処世談(第卅二回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第357号(竜門社, 1918.02)
初出誌:『実業之世界』第14巻第20-22号(実業之世界社, 1917.10.15,11.01,11.15)