9. 一知半解を持ち廻す
いっちはんかいをもちまわす
(32)-9
子曰。黙而識之。家而不厭。誨人不倦。何有於我哉。【述而第七】
(子曰く、黙して之を識し、学んで厭かず、人を誨《をし》へて倦まず、何れか我れに有る哉。)
茲に掲げた章句に於て孔夫子の曰はれた事は一々真実で、孔夫子といふ御方は、少しぐらゐの智識を誇り気に揮り廻して談論せられたり学に飽き易かつたり、人を教へるのを厭がつたりする性質であられたとすれば、孔夫子の孔夫子たる価値が殆ど全く無くなつてしまふ事になる。依つて思ふに、恐らく斯の章句は世間に孔夫子を非難する声が轟々として起り、彼は碌々物を知つて居りもせず、研究もせず、さればとて教育者として子弟を懇篤に指導する熱心も無い男だなぞと、没分暁漢共の喧々たる声を耳にせられた時に、之に激して発せられたもので、そのうちには素より謙辞も含まれてるが又多少の皮肉も含まれ「如何にも左様で厶いますよ」と謂つたやうな意味もあるだらう。(子曰く、黙して之を識し、学んで厭かず、人を誨《をし》へて倦まず、何れか我れに有る哉。)
如何に学問して物識になつても、之を胸中にのみ秘め置き容易に発表せぬといふ如き床しき挙動に出る人は却〻見当らず、大抵の人は一を知れば之を十にして見せびらかしたがるものである。伊藤公でも大隈侯でも猶且みな斯の傾向があり、大隈侯などになれば殊に甚しく、盛んに一知半解の知識を揮り廻される。一知半解の知識を揮り廻して高論放言するぐらゐなら、その穉気愛すべしとして笑つてすまされもするが、少し性質の邪な人になると、その一知半解の知識を悪用して之を揮り廻し、自己の非を隠さうとさへするものだ。近頃の青年が、我が自堕落を弁護せんが為に、聞き噛り、ウロ覚えの西洋の新主義を主張するなぞが即ち其れである。誠に悲むべき現象なりと謂はねばならぬ。
要するに一知半解の知識を揮り廻して物識顔をする人は、謙遜で無い人である。孔夫子は頗る恭謙の美徳に富まれた人であつたから、常に自己の足らざる処を悔い、汲汲として及ばざるを是れ唯恐れられたものである。それが茲に掲げた如き章句となつて顕れたのだ。私なぞも黙して之を識すといふ事は却〻難しくつてでき難い点だと思うて居る。然し、学びて厭かずといふ事には、多少自ら力めて居る積りで、別に学問を専門とする者でも無いから徹底するまで研究を継続するわけにもゆかぬが、自分独りで早合点せず、知らぬ事は飽くまでも学びたいとの心懸を持つて居る。若し夫れ人を誨へて倦かずといふ点に至つては、或は自分に於て多少能くし得るかと思ふのだ。然し、為に老人の長談義なぞと譏られるやも知れぬ。
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- 一知半解, 持ち廻す
- 論語章句
- 【述而第七】 子曰、黙而識之、家而不厭、誨人不倦。何有於我哉。
- デジタル版「実験論語処世談」(32) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.223-233
底本の記事タイトル:二五二 竜門雑誌 第三五七号 大正七年二月 : 実験論語処世談(第卅二回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第357号(竜門社, 1918.02)
初出誌:『実業之世界』第14巻第20-22号(実業之世界社, 1917.10.15,11.01,11.15)