デジタル版「実験論語処世談」(32) / 渋沢栄一

11. 孔夫子の失言取消

こうふうしのしつげんとりけし

(32)-11

 孟子は人の性は素と善なりと説き、性善説を主張したほどで、人間本来の面目は善である。悪は何人も好まざる処である。果して人の性が斯く善なるものであるならば、義を聞いたら直ぐ徙り、不善と知つたら直ぐ改め、徳を修め学を講じさうなものだが、実際は却〻さう行かず、孔夫子さへも「是れ我が憂なり」と仰せられたほどで、兎角人は徳も修めず、学も講ぜず、義を聞いても徙らず、不善も改めたがらぬものである。之はみな人に私があつて、七情に冒されるからだ。随分勝手我儘な行ひばかりして、世間に迷惑を懸けてばかり暮らす人でも、一朝他人の事になれば批判が正確で、あれは善いとか悪いとかと正鵠を得た判断を下し得らるるやうになるものである。然し自分の身に関する事になれば、判断が全然横径に外れてしまひ、大義名分を無茶苦茶にし、是を非とし、非を是とするに至るのは、人の性は素と善だが、一たび七情が起つて私が其間に挿まれば是非善悪の批判力を失ふに至るものだといふ何よりの証拠である。人に私さへ無ければ、孔夫子も論語衛霊公篇に於て「無為にして治まるものは其れ舜か、夫れ何をか為さんや、己れを恭しくして正しく南面するのみ」と説かれて居る如く、世の中に争ひ事なぞの起らう筈が無いのである。大抵の人が自分の非を弁護するには、誰某は斯く々々若か々々の事をしたから対抗上止む無く斯る道ならぬ行為に出でたといふのであるが、それが即ち私である。こんな人でも自分の行つたのと同じ事を他人が行れば猶且それは悪い事だと謂ふに相違無い。人には素と義を聞いて徙り、不善と知れば之を改むる本性のあるものだ。
 そこに至ると孔夫子は流石に豪いもので、過つては即ち改むるに憚ること無く、一寸した戯言でも、悪いと気付けば直に之を取消されたもので、論語陽貨篇には、之に就ての逸話がある。一日孔夫子が門人を引き率れられて、御弟子の一人なる子游が其の宰たる武城に遊ばれたところが、絃歌の声を聞き、これも子游が治道に妙を得て、民に礼楽を教へて居るからだと大に悦ばれ、子游ほどの男が斯んな小さな邑を治むるのに礼楽を以てするほどの事もあるまいとの意味から「鶏を割くに焉ぞ牛刀を用ゐん」との語を発せられた。之を聞いた子游は、孔夫子にも似合はしからぬ事を仰せらるるものかなと思ひ、「君子道を学べば人を愛し、小人道を学べば使ひ易しとは、曾て先生より教へられた処であるが、この精神を遵奉し、君子も小人も皆善良の邑民たるを得るやうにと、礼楽によつて民に道を学ばしむる方針を取り居るのに、却て孔夫子の御口から、礼楽にも及ぶまいとの仰せを聞くとは何んたる事であるか」と、攻撃の戈を孔夫子に向けたので、孔夫子も悪いことを言つたと心付かれ、「偃(子游の名)の言是なり、前言は之に戯るるのみ」と、失言を取消されたところは、孔夫子で無ければできぬことで、毫も自分の非を弁護せられようとせず、併も其御言葉に迫まつた処なく、綽々として余裕のあるのには私の如きただただ感服するより外は無いのである。「菜根譚」にも「己が心を昧まさず、人の情を尽さず、物の力を竭さず、以て天地の為に心を立て、生民の為に命を立て、子孫の為に福を造すべし」とある。

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デジタル版「実験論語処世談」(32) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.223-233
底本の記事タイトル:二五二 竜門雑誌 第三五七号 大正七年二月 : 実験論語処世談(第卅二回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第357号(竜門社, 1918.02)
初出誌:『実業之世界』第14巻第20-22号(実業之世界社, 1917.10.15,11.01,11.15)