11. 孔夫子の失言取消
こうふうしのしつげんとりけし
(32)-11
そこに至ると孔夫子は流石に豪いもので、過つては即ち改むるに憚ること無く、一寸した戯言でも、悪いと気付けば直に之を取消されたもので、論語陽貨篇には、之に就ての逸話がある。一日孔夫子が門人を引き率れられて、御弟子の一人なる子游が其の宰たる武城に遊ばれたところが、絃歌の声を聞き、これも子游が治道に妙を得て、民に礼楽を教へて居るからだと大に悦ばれ、子游ほどの男が斯んな小さな邑を治むるのに礼楽を以てするほどの事もあるまいとの意味から「鶏を割くに焉ぞ牛刀を用ゐん」との語を発せられた。之を聞いた子游は、孔夫子にも似合はしからぬ事を仰せらるるものかなと思ひ、「君子道を学べば人を愛し、小人道を学べば使ひ易しとは、曾て先生より教へられた処であるが、この精神を遵奉し、君子も小人も皆善良の邑民たるを得るやうにと、礼楽によつて民に道を学ばしむる方針を取り居るのに、却て孔夫子の御口から、礼楽にも及ぶまいとの仰せを聞くとは何んたる事であるか」と、攻撃の戈を孔夫子に向けたので、孔夫子も悪いことを言つたと心付かれ、「偃(子游の名)の言是なり、前言は之に戯るるのみ」と、失言を取消されたところは、孔夫子で無ければできぬことで、毫も自分の非を弁護せられようとせず、併も其御言葉に迫まつた処なく、綽々として余裕のあるのには私の如きただただ感服するより外は無いのである。「菜根譚」にも「己が心を昧まさず、人の情を尽さず、物の力を竭さず、以て天地の為に心を立て、生民の為に命を立て、子孫の為に福を造すべし」とある。
- デジタル版「実験論語処世談」(32) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.223-233
底本の記事タイトル:二五二 竜門雑誌 第三五七号 大正七年二月 : 実験論語処世談(第卅二回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第357号(竜門社, 1918.02)
初出誌:『実業之世界』第14巻第20-22号(実業之世界社, 1917.10.15,11.01,11.15)