デジタル版「実験論語処世談」(32) / 渋沢栄一

4. 源平両氏の争ひと藤原氏

げんぺいりょうしのあらそいとふじわらし

(32)-4

 ところがこの状態が久しく継続して居るうちに、源平両氏の争ひが激しくなつて来て、到底、藤原氏の力では之を制御してゆけ無くなつてしまつた。為に藤原氏は漸く鼎の軽重を問はるるほどの無勢力の位置に陥り、在れども無きが如くに取扱はれ、源平両氏が勝手気儘に兵馬の権を揮り廻し、互に相争ふに至り、又藤原氏に人物が無かつたので、遂に白河天皇の朝に及んで師実を最後の関白にして藤原氏は全く其権威を失墜してしまつたのである。其後、一時は又天皇御親政の時代と相成つたのだが、兵馬の権は、依然源平両氏に握られて居つたのだから、礼楽の権のみある朝廷の力では迚も国内の治まりがつかず、源平両氏の確執は益〻激しくなるばかりであつたのである。其の極遂に保元の乱となつたが、当時源氏よりも平氏に人傑多く、殊に清盛の如き辣腕家が現れて来たので、平治の乱に至つて源氏は全く其勢力を失墜して喪びてしまひ、世は平氏の天下となり、平氏が朝廷よりの御委托を受けて政権を握り、兵馬の権をも独り天下で行使するやうになつたのである。然し、平氏が余りに横暴に流れ、政兵の権を朝廷より御委托せられて居るに乗じ勝手我儘の挙動に出たものだから、国内の人心も自然と平氏より離れて来たのを看て取つた頼朝が、石山橋に旗挙げし、諸国の源氏がみな之に呼応することになつたので、寿永、建久を経て、平氏は遂に西海に亡び、茲に源氏の天下を出現し、頼朝が総追捕使の職を拝し、天下に号令するやうになつたのである。

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キーワード
源氏, 平氏, 争ひ, 藤原氏
デジタル版「実験論語処世談」(32) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.223-233
底本の記事タイトル:二五二 竜門雑誌 第三五七号 大正七年二月 : 実験論語処世談(第卅二回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第357号(竜門社, 1918.02)
初出誌:『実業之世界』第14巻第20-22号(実業之世界社, 1917.10.15,11.01,11.15)