デジタル版「実験論語処世談」(32) / 渋沢栄一

1. 孔子の説は奇ならず

こうしのせつはきならず

(32)-1

子曰。述而不作。信而好古。窃比於我老彭。【述而第七】
(子曰く、述べて作らず。信じて古を好む。窃に我が老彭に比す。)
 今回より述而篇に入り、又従来の如くポチポチ処世上に就ての感想を述べることにするが、茲に掲げた章句は、孔夫子が決して御自分で奇を好み、物好きに世間と変つた説を述ぶるのでは無い、ただ万古不易、中外に施して悖らざる天下の大道を述ぶるに過ぎぬものであるとの意を明かにせられたものである。老彭の如何なる人であつたかは、今之を明かにするを得ぬが、商の国の大夫を勤め賢大夫の称を得た至極穏当な人である事だけは確かで、古聖人の道によつて治国平天下を心懸けたものであつたらしい。孔夫子の時代にも、世間には斯の老彭を賞むる声があつたので、孔夫子は「自分とても別に変つた新らしい説を唱道するのでは無い、自ら心窃かに老彭に比し、先王の道を祖述するのみのものだ」と仰せられたのがこの章句の意味である。然し、孔夫子が何故突如として斯る事を仰せられたものか、それには必ずや周囲の事情が存することと思はれるが、この事情を詳かにするを得れば一層この章句の趣旨を明確にし得らるるだらう。それにつけても前条にも申述べて置いた如くに、孔夫子御一代の年譜を編成して置いて孔夫子の記録を之に当て嵌めて攻究するやうに致したいものである。
 同じく古人の説を祖述するにしても、心より之を祖述するのと、ただ古人の説であるからとて形式的に祖述するのと二種類がある。孔夫子は、単に先王の道を形式的に唱道せられたのでは無い。真に先王の道に依らなければ世の中が治まつて行かず、治国平天下を得られぬものと信じて之を唱道せられたのである。この信念を基礎とした言論であるから、孔夫子の言葉のうちには莫大の力が籠り、二千五百年後の今日までも、猶ほ読む者をして感憤せしむるのだ。つまり、先王の道を自分の道にして伝へられたのが是れ孔夫子である。徒に新奇の説を唱道し、之によつて名を売らんとするにのみ汲々たる青年子弟の如き則ち以て大に鑑とすべき点だらうと思ふ。道には決して二つ無いものだ。先王の道とか、孔子の道とか、古い道とか、新しい道とかの別のあらう筈が無いのである。さればとて、この章句によつて孔夫子を守旧家の如くに思はば、それは飛んでも無い料簡違ひである。
 孔夫子は決して守旧家で無かつた。既に論語為政篇に於ても、「故きを温ねて新しきを知れば、以て師と為るべし」と仰せられ、又同じく学而篇に於て、御弟子の子貢が古い詩経の句を引用して孔夫子の御教訓を説明する処を耳にせらるるや、孔夫子は子貢を甚く御賞めになつて、「諸れに往を告ぐれば来を知る者なり」と仰せられたほどで、往、即ち過去の古い事に鑑みて、来、即ち新しい時勢に処して行かうといふのが、是れ孔夫子の御精神である。されば、茲に掲げた章句のうちにある「述」といふ文字も、単に古人の言を挙げるといふだけの意義のもので無く、古人が其端を作つて置いた法の足らざる処を補ひその到らざる処を尽すといふ意味である。

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デジタル版「実験論語処世談」(32) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.223-233
底本の記事タイトル:二五二 竜門雑誌 第三五七号 大正七年二月 : 実験論語処世談(第卅二回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第357号(竜門社, 1918.02)
初出誌:『実業之世界』第14巻第20-22号(実業之世界社, 1917.10.15,11.01,11.15)