デジタル版「実験論語処世談」(31) / 渋沢栄一

9. 近頃の人では山下氏

ちかごろのひとではやましたし

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 近頃の人で、己れ立たんと欲して人を立て、己れ達せんと欲して人を達する底の心掛ある人物は、誰彼といふよりも手近いところで、昨今船成金で噂の高い山下汽船会社長の山下亀三郎氏なぞが其人だらうと思ふのだ。一概に「成金」と謂つてしまへば余り芳しくも響かぬが山下氏は当節の成金に珍らしく能く親切に部下の面倒を見、之を引き立ててやる事に骨を折り、随分厚く酬いても居る。山下氏とて先年石炭で失敗した際にそれ切りで没落してしまへば、別に学問のある人でも何んでも無いんだから、世間から歯牙に懸けられずに終らねばならなかつたのみならず、今日でも猶ほ「成金」だとか何んだとか謂はれて居るのだが、氏の人物を鑑識する鑑識眼は全く珍らしいほどに徹底したものだ。
 それから、山下氏は人物を鑑識するのに、一時の印象や気まぐれ乃至は直観と謂つたやうなものに拠らず、総て其の鑑識法にチヤーンとした順序筋道が立つて居る。甲の人は斯く斯くであるから斯く斯くの長所があり、乙の人は斯う斯うだから斯んな特色があると、整然たる理路を辿り人物を鑑識するところが、山下氏の人物鑑識眼の非凡なる所以だ。
 それで、一旦人を用ひれば之を待つ事頗る厚く、能く之を引立て、先づその人を達せしめて置いてそれから自分が達しようとするから、部下なぞも山下氏には却〻能く心服して居る模様である。

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近頃, , 山下亀三郎
デジタル版「実験論語処世談」(31) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.215-221
底本の記事タイトル:二五〇 竜門雑誌 第三五六号 大正七年一月 : 実験論語処世談(第卅一) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第356号(竜門社, 1918.01)
初出誌:『実業之世界』第14巻第18,19号(実業之世界社, 1917.09.15,10.01)