8. [故市原盛宏氏の人物]
こいちはらせいこうしのじんぶつ
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私が、始めて市原氏を知つて感心したのは、英国の海軍大臣をした事のあるベレスフォード提督が来朝した時に催した招待会で、氏がベレスフォード提督の演説を通訳された時である。一体、外人の演説通訳は誰がやつても甚だ面白く行かぬもので、普通一般には外人が一分間か二分間演説するとそれを通訳者が引取つて通訳し、又外人が演説を続け、外国語と通訳とをチヤンポンにし、全体の演説を幾つにも細かく切つてしまふのが例になつてるが、それでは演説する者も情が乗らず、聴く者も感動せず、両者共に迷惑を覚えるのみならず、殊にベレスフォード提督は英国でも有名な雄弁家だといふから、全体の演説を終つてから之を通訳することにし、演説を中途でチヨン斬つて通訳する事は廃めたら可からう――さうすれば、英語を解する列席者も満足し、演説をする当のベレスフォード提督も嘸演説が行り可からうとの意見が穂積陳重博士なぞから出たのである。
然し、雄弁家を以て有名なべレスフォード提督が一時間以上も喋べり続けた後から、全体の演説を遺漏無く通訳するには、余程語学の素養の深い人で且つ記憶の優れた者で無ければならぬからといふので、誰か彼かと評議の末、市原氏ならば行れるだらうとの説に一致し、同氏に依頼した処が、ベレスフォード提督が二時間に亘る長演説が済んでから、同氏も亦雄弁を揮つて之を遺漏無く通訳し了せたので、会衆一同も感服したが、私も其記憶力の非凡なるに感心させられたのである。其後私が妻と一緒に米国旅行を企てた際に同氏に同行を請ひ、通訳の労を取つてもらつた事もある。
市原氏は孰れかと謂へば、実業家よりも寧ろ学者肌の人で、英語の薀蓄の深かつたと共に漢学の素養も相当にあつたのだが、豪い綿密な処のあつた学者といふでは無い。又事務家として非凡の才幹があつたのでも無い。然し博く学んで之を約するに礼を以てした人で、道徳観念も強く、能く他人を護り立てる事に骨を折られた人であつた。
- デジタル版「実験論語処世談」(31) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.215-221
底本の記事タイトル:二五〇 竜門雑誌 第三五六号 大正七年一月 : 実験論語処世談(第卅一) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第356号(竜門社, 1918.01)
初出誌:『実業之世界』第14巻第18,19号(実業之世界社, 1917.09.15,10.01)