デジタル版「実験論語処世談」(31) / 渋沢栄一

4. 儒教と封建制度の関係

じゅきょうとほうけんせいどのかんけい

(31)-4

 家康の遺訓として伝へらるる冒頭にある「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し、急ぐべからず」の一句なぞも、論語泰伯篇に曾子の語として載録せらるる「士は以て弘毅ならざるべからず、任重くくして道遠し、仁以て己が任と為す」の章句に胚胎したもので、「任重くして道遠し」の一句を砕いたのが「人の一生は重き荷を負うて遠き道を行くが如し」の遺訓となつたのである。又、この遺訓のうちには、論語顔淵篇の「己の欲せざる所は人に施すこと勿れ」の孔夫子の語を少し強めて祖述したと想はるるやうな一節もある。是等に徴すれば家康も論語を却々能く精読し、そのうちに載録せらるる孔夫子以下孔門諸哲の教訓を直に取つて実際の処世法に当て嵌めんとして居られた人である事が窺ひ知り得られる。こんな風の調子で、論語の教訓は総て読みさへすれば直に実行のできる実際の生活に触れた教訓のみである。
 家康は斯く論語の教訓を実地に行はうとした人で、孔子教によつて人心を善導し、忠孝を奨励して封建制度の基礎を確立する事に意を注いだものだとすれば、士農工商の階級区別を厳重にしたのも亦是れ孔子教の影響に因るので無からうかとの疑を起す者も無いでは無かろうが、士農工商の差別が明かになつて、治者と被治者とを明瞭に区別し被治者をして些かたりとも治者の権限を冒すこと無からしむる制度の確立せられたのは、孔子教の影響といふよりも、頼朝以来漸次に封建制度が発達して来た自然の結果である。家康が必ずしも農工商圧制の端緒を開いたのでも無ければ、又孔子教に農工商を圧服する傾向があるのでも無い。

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デジタル版「実験論語処世談」(31) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.215-221
底本の記事タイトル:二五〇 竜門雑誌 第三五六号 大正七年一月 : 実験論語処世談(第卅一) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第356号(竜門社, 1918.01)
初出誌:『実業之世界』第14巻第18,19号(実業之世界社, 1917.09.15,10.01)