デジタル版「実験論語処世談」(31) / 渋沢栄一

6. 政治は実に至難のもの

せいじはじつにしなんのもの

(31)-6

 少し談話は横径に入り過ぎたが、士農工商の別を明かにし、治者と被治者との階級を明瞭に別つ事も、或る時代の政治としては又止むを得ぬ行方で、群雄割拠の戦国時代の後を受けて之を統一し、治平を計らん[と]すれば、封建制度を施きでもせねば迚も治まりのつかぬものである。頼朝が鎌倉に幕府を開き、親ら総追捕使の職を拝し朝廷よりの御委任を受けて諸侯を支配し、諸侯をして其所領内の政治に当らしめ、幕府が之を統率した封建制度は、一見した処、米国の合衆政治、独逸の聯邦政治などに似たものだが、家康に至つて頼朝の創めた斯の制度が一層進歩し、総追捕使の名は征夷大将軍となり、幕府は帝国を代表し、外国に当ることになつたのである。
 政治に於て、治者と被治者との関係ほどに至難のものは無い。この関係を円滑に運転してゆくのが是れ即ち政治で、之が又政治の頗る至難の所以である。大体から謂へば、被治者は治者に其資金を給し、治者は被治者より支給を受くる報酬として被治者の利益幸福を増進する事に力を尽さねばならぬものだといふ順序になる。されば、韓信の如きは「人の食を食む者は人の事に死す」とさへ曰つてるほどだ。治者は被治者の食を食んでる者であるから、被治者の利益幸福の為には生命を棄てねばならぬやうな事にもなるのだ。かく一朝事あれば生命を棄ててやるからとて、平生被治者に何の権力をも与えず、之を圧服してばかり置けるものでも無く、さうかというて被治者に平素余り権力を与へ過ぎれば頓と又治まりがつか無くなり、昨今の露国に於ける如き状態のものになつてしまふ。家康が天下の平和幸福を維持せんが為に治者被治者の区別を明確にするに力めたのも、当時の事情よりすれば止むを得なかつた事だらうが、この両者の関係を円滑にし権力の過不及が両者に無くうまく調和されて居るのが善政といふものである。

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キーワード
政治, 至難
デジタル版「実験論語処世談」(31) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.215-221
底本の記事タイトル:二五〇 竜門雑誌 第三五六号 大正七年一月 : 実験論語処世談(第卅一) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第356号(竜門社, 1918.01)
初出誌:『実業之世界』第14巻第18,19号(実業之世界社, 1917.09.15,10.01)