デジタル版「実験論語処世談」(31) / 渋沢栄一

7. 仁者は他人を引立てる

じんしゃはたにんをひきたてる

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 それから、「能く近く譬を取る」とは、仁者は何事に於ても人に対するに当つては、之を我が身に引き比べて考へるものだといふ意味で真に仁者の志ある者は、自ら立たうとする前に、先づ他人を引立てる事に骨を折り、いろいろと力を尽すものである。世の中は総じてまづ他人を立てねば、自分が決して立つて行けるもので無いのである。
 維新の元勲で、能く部下を引立てたものは木戸公であるが、山県公なんぞも他人を引立てる事には一方ならぬ骨を折られる方だ。現に清浦子なんどの今日あるを得たのは、素より御当人が御豪いからでもあるが、山県公の推輓に待つ処が頗る多いやうに思はれる。
 大久保公なんかも亦、却〻能く他人を引立て、之をして達する処あらしむるに力められたもので、故伊藤公があれほどに成られたのも、全く大久保公の引立てに依つたものだ。然し、大久保公は初めから伊藤公の人物を見抜いて之を引立てられたのでは無い。初めのうちは、伊藤公も酷く大久保公に嫌はれたものだ。伊藤公は何んでも物を能く知つてるが、ソワソワして沈着いたところが無く、孰方かと謂へば軽薄な方だからとて、斯く大久保公に嫌はれたのだが、一たび伊藤公の真骨頂を知るに至らるるや、之を飽くまで引立てて遂に明治年間の大立物となるまでにしたのである。
 斯んな風で、昔からの豪い人はみな能く人を引立てて居る。さうで無ければ迚も亦自分も豪く為れるもので無い。

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デジタル版「実験論語処世談」(31) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.215-221
底本の記事タイトル:二五〇 竜門雑誌 第三五六号 大正七年一月 : 実験論語処世談(第卅一) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第356号(竜門社, 1918.01)
初出誌:『実業之世界』第14巻第18,19号(実業之世界社, 1917.09.15,10.01)