5. 戦国になるのは当然
せんごくになるのはとうぜん
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時の後醍醐天皇は天資御英邁に渡らせ給うたので、政権を斯く北条氏に委任して置いては下万民の苦しみ如何ばかりならんかと叡慮を悩まさせられ、御親政を思ひ立たせられたのだ。之が所謂建武中興である。然るに、又当時の朝廷には大権運用の任に当る偉大なる人物が無かつたものだから、足利尊氏といふ怪傑が現れて、頼朝の遺業を継ぎ天下の一統を志し、茲に南北朝の両立を見るに至つたのであるが、兎に角、尊氏は北朝の朝廷より将軍の宣下を受け、天下に号令する事になつたものだ。然し、南朝の遺臣に猶ほ相当の人物があつたのと、弟直義との間に不和があつたりなどしたのとで、尊氏の存生中には迚も国内一統の素志を達し得られなかつたのである。ところが、足利三代の義満が却〻の人傑で、之を輔佐するに細川頼之の如き文武兼備の人才があつたものだから、久しく両立した南北朝も相合して一となり、後小松天皇が人皇第百一代として御即位あらせらるる事になつたのである。そのうち又義満の心が余りに驕り朝憲を紊すまでに至つたので足利氏も義満以後漸次に其声望を失墜し、義政に及んで殊に甚しく、遂に応仁の乱となり、その結果朝廷には、兵馬の実力無く、足利氏も亦国内を統率し得られず、幕府は名ばかりで其実無きに至り、統治の中心を失つたやうな形に陥つてしまつたので、茲に群雄割拠の戦国時代が現出せられたのである。
- デジタル版「実験論語処世談」(32) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.223-233
底本の記事タイトル:二五二 竜門雑誌 第三五七号 大正七年二月 : 実験論語処世談(第卅二回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第357号(竜門社, 1918.02)
初出誌:『実業之世界』第14巻第20-22号(実業之世界社, 1917.10.15,11.01,11.15)