デジタル版「実験論語処世談」(32) / 渋沢栄一

10. 大学の説き方面白し

だいがくのときかたおもしろし

(32)-10

子曰。徳之不修。学之不講。聞義不能徙。不善不能改。是吾憂也。【述而第七】
(子曰く、徳の修めざる、学の講ぜざる、義を聞きて徙る能はざる不善を改むる能はざる、是れ吾が憂なり。)
 茲に掲げた章句も、又是れ孔夫子の謙辞たるに過ぎぬのである。孔夫子にして真に徳を修めず、学を講ぜず、不善を改むる能はざる人であつたとすれば、孔夫子は聖人どころか全く取るにも足らぬ人物だ。孔夫子が斯の章句に於て、恰も自分が、徳を修めず、学を講ぜず、不善を改むる能はざる如くに曰はれたのは、自分を仮つて世間に徳の修まらぬ、学を講ぜざる、不善を改むる能はざる人々の多いのを慨せられ、之を諷せられたに過ぎぬのである。私なぞでも、他人に忠告する時には、「自分は薄徳だが……」とか何んとか前置きをして、それから今の世の中が一般に軽薄で、犠牲の精神に乏しく、利己的にばかりなつて困るといふやうな意を述べ、世間に警告を与へるのが例だ。恰度私が、今日の人が犠牲の精神に乏しく、軽薄で利己的なのを慨はしく思ふ如く、孔夫子も当時の社会に徳を修めず、学を講ぜず、不善を改むる能はざる人々が余りに多いのを憤慨せられ、斯る言を発するに至られたものだらう。
 孔夫子の説かれたところも「大学」と「論語」とではその説き方に非常な差がある。前条に談話したうちにも述べ置ける如く、「大学」は人が人生に処する道の大要に就て説かれたもので、為に其書を称して「大学」といふやうになつたのだが、冒頭の章句にある「明明徳」「親民」「止至善」の三条が全篇の骨子で、古来之を「大学」の三綱領と称んで居る。それからこの三綱領を実地に弘演する法として説かれた「平天下」「治国」「斉家」「修身」「正心」「誠意」「致知」「格物」は、古来「大学」の八条目と称せられて居るが、まづ初めに「古の明徳を天下に明かにせんと欲する者は、先づ其国を治む」と説き、順次斉家、修身、正心、誠意、致知、格物に及び、社会に於ける安寧幸福の根本は事物の観察研究にあるを示し、今度は更に改めて逆に説き、「物格りて而る後に知至る」から始めて、誠意、正心、修身、斉家に遡り、「国治りて而る後に天下平かなり」と結んだところは、実に面白い説き方であるとは謂はねばならぬ。然し、抽象的にのみ流れ、毫も実際の細目に渡つて居らぬ。論語に至つては然らず、世間の批評だとか、弟子等の苦情だとか、其他種々の難局に臨んで応酬せられた教訓であるから、これまでも屡〻申し置ける如く、実際に臨んで心に迷を生じた時に論語の教訓を尺度にして批判しさへすれば、人は大過無き一生を送り得らるるのだ。度々繰り返すやうではあるが、序であるから又申添へて置く。

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デジタル版「実験論語処世談」(32) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.223-233
底本の記事タイトル:二五二 竜門雑誌 第三五七号 大正七年二月 : 実験論語処世談(第卅二回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第357号(竜門社, 1918.02)
初出誌:『実業之世界』第14巻第20-22号(実業之世界社, 1917.10.15,11.01,11.15)