デジタル版「実験論語処世談」(32) / 渋沢栄一

2. 孔夫子は謙遜のみに非ず

こうふうしはけんそんのみにあらず

(32)-2

 「述べて作らず」と、仰せらるるところを聞けば、孔夫子は如何にも恭謙の徳に富んだ謙遜の人であるかのように考へ得られる。又、実際謙遜の人であられたのである。それから、この「述べて作らず」と曰はれた語のうちには、孔夫子が常識を重んぜられた人であつた事も顕れて居ると謂ひ得よう。一体、常識とは何んなものかと謂へば、古くから行ひ来つた事を改めず、万事之に則つて行つてゆくといふに外ならぬのだ。然し、一にも常識、二にも常識、三にも四にも常識と常識ばかりを尊んで先例にのみ拘泥する者になつてしまへば、毫も毅然たる処の無い、大勢に阿附する弱い意気地無しの人間となり、何か大事が目前に突発した時に、之に処して過まらざるを得るシツカリした人間に成り得られ無くなるものである。故に、常識は人に取つて欠くべからざるものではあるが、猶且過ぎたるは及ばざるが如しで、常識も余り過ぎれば却て人を賊するに至るものだ。是に至れば孔夫子は流石に豪く、「述べて作らず」と、頗る常識に富んで居らるるにも拘らず、他の一方に於てはこれまで談話したうちにも屡〻引用せる如く、「桓魋其れ予を如何にせん」とか、「匡人其れ予を如何にせん」とかいふ如き、驚くべきほど自信のある言を成して居らるる。この自信が無く、ただ常識に富んでるのみでは、人間が軽薄でフラフラしたものになつてしまふ恐れがある。
 孔夫子が自ら窃に老彭に比して居つたやうに、私は一体、心窃に誰に比して居るのかと問はるれば、私としては「我が孔子に比す」と謂ひたいのだが、それは単に私の理想だけの事で、私ばかりが如何に心窃に孔夫子に比して居つても、到底及ぶ処で無いのみならず、世間が迚も承知してくれまいと思ふ。然し私の理想は飽くまでも孔子の如く成り、常識を重んじて世に処すると共に、自ら信じて恐れざる確乎たる信念のある人間に成りたいといふにある。支那の人では孔夫子を除けば、私は次に諸葛孔明を好むのである。孔明は常識の発達して居ると同時に、動かすべからざる信念のあつた人であるかのやうに思はれる。孔明に次いで私の好く人物は司馬温公だ。司馬温公は、幼少の頃水瓶の中へ落ちた朋輩を石で瓶を破つて救つたといふ逸話のあるのに徴しても知り得らるる如く、頗る常識に富まれた人であつたが、正直無比、毅然として曲ぐるところの無かつたものだ。これが為め支那にも古来司馬温公を崇拝する人多く、南宋の度宗の如き、咸淳三年(六百五十年前)大学に行幸して孔子の廟に謁せられた際には、十哲と共に司馬温公をも合せ祀られたほどである。日本の歴史上の人物では、菅原道真などを私は好くのである。

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デジタル版「実験論語処世談」(32) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.223-233
底本の記事タイトル:二五二 竜門雑誌 第三五七号 大正七年二月 : 実験論語処世談(第卅二回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第357号(竜門社, 1918.02)
初出誌:『実業之世界』第14巻第20-22号(実業之世界社, 1917.10.15,11.01,11.15)