デジタル版「実験論語処世談」(32) / 渋沢栄一

8. 学康[家康]は老獪に非ず

いえやすはろうかいにあらず

(32)-8

 家康は如何にも老獪至極の人物であつたかの如く今日でも世間より謂はれ、福本日南氏の如き、切りに家康を老獪だ老獪だと罵つて居られるが、私は家康を左ほど老獪の人であるとは思はぬのである。彼の大仏鐘銘の一件から豊臣氏をキメつける時に当り、態〻駿府まで出かけた片桐且元に対しては淀君を人質に入れろとか、郡山へ国換をしろとか、諸侯並に江戸へ参勤をしろとかと難題ばかり吹きかけて置いて一方淀君から遣はされた大蔵局以下の女﨟たちに対しては「何も心配するに及ばぬ。緩乎遊んで帰るが可い」などと甘言を以て之を遇し、大阪へ帰つてからの且元の申す処と局等の申すところとがまるでウラハワ[ウラハラ]で、大阪では孰方が本当か解らぬやうになり、忠義の且元が遂に却けられて豊臣氏の末路となつたのは、一に家康の老獪が之を然らしめたかの如く謂はれるが、これは、家康が別に老獪であつたからで無く、婦女子に大義名分の立つた六ケしい話を聞かせたところでドウセ何の役にも立つもので無いと思つたから、之には本心を打ち明けて談らず、且元にだけ本当の話をしたに過ぎぬのである。
 兎角、成功した人は世間から嫉まるるものなので、如何に義しい順当な事ばかりをしても、その当時は素よりいふまでも無く、後世になつてからまでも老獪であるかの如くに観られ勝のものである。家康が今日の史論家によつて老獪を以て目せらるるのは、家康は成功した人であるからだ。之に反し、菅原道真は正直な人で、一点非難すべきところの無い聖人の如くに謂はれるのは、家康の如く成功せずに失敗を以て其生涯を終つたからである。成功者は総て老獪なもので、失敗せねば人は正直で正しくあり得ぬものだとすれば、貧乏人で無ければ義しい事は行へぬものだといふ理窟になる。天下に斯んな馬鹿な道理のあらう筈が無いのだ。

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キーワード
徳川家康, 老獪, 非ず
デジタル版「実験論語処世談」(32) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.223-233
底本の記事タイトル:二五二 竜門雑誌 第三五七号 大正七年二月 : 実験論語処世談(第卅二回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第357号(竜門社, 1918.02)
初出誌:『実業之世界』第14巻第20-22号(実業之世界社, 1917.10.15,11.01,11.15)