1. 論語を読むに就ての希望
ろんごをよむについてのきぼう
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また論語に、魯論語、斉論語、古論語の三論があつて、その各〻の編次章句は必らずしも同一でなく、時を同じくして纂輯されたものといふことはできぬ。何れにしても論語は孔子が秩序立つて述べられたものを、秩序立つて集録したものではなくして、長い間に亘つて、或は折に触れ所に処して孔子の発せられた説を極めて不秩序に編纂したものである。そこで論語の中には、講演の如きものもあれば訓辞もある。問答の如きもあれば説教の如きものもある。さうかと思ふと孔子よりも年の五十も下である曾子の説が非常に多く載せられてある。曾子は孔門の末年の弟子であつたけれども非常に秀才で学徳よく備はつたから、斯く重く見られ、「士不可以不弘毅」といふ説を始めとして数多く載録されてある。曾子の学徳は別としても、斯く孔子より五十も年下の曾子の説が屡〻載つてをる処を見ると、如何に論語が長い間のことを集録した者であるかといふことが知れる。
斯く長年に亘つて折に触れての説を集録したものであるから、その間には自ら統一も欠け、前の章句と後の章句とどうしても相合致し兼ねるといふやうなものがある。孔子が門弟子の或るものについて、前には酷く賞められたかと思ふと、後では烈しく非難されるといふこともある。果してその何れが真意であるか知りかねるといふ場合が多いのである。それといふのも、その場合々々の情勢がよく分れば真意を知るに少しも苦む必要はないのであるが、その場合々々の情勢は少しも記録になく、全く情勢を異にしたであらうと思はれる場合に発せられた言葉を章句として訳もなく相並べてあるので、甚だその真意を知るに苦むのである。
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- 論語章句
- 【泰伯第八】 曾子曰、士不可以不弘毅。任重而道遠。仁以為己任。不亦重乎。死而後已。不亦遠乎。
- デジタル版「実験論語処世談」(50) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.386-390
底本の記事タイトル:三〇三 竜門雑誌 第三八一号 大正九年二月 : 実験論語処世談(第四十九《(五十)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第381号(竜門社, 1920.02)
初出誌:『実業之世界』第17巻第2号(実業之世界社, 1920.02)