デジタル版「実験論語処世談」(50) / 渋沢栄一

5. 才あるも驕吝なれば観るに足らず

さいあるもきょうりんなればみるにたらず

(50)-5

子曰、如有周公之才之美。使驕且吝。其余不足観也已。【泰伯第八】
(子曰く、如し周公の才の美有るも、驕り且つ吝ならしめば、其の余は観るに足らざるのみ。)
 何程才優れたるものがあつても、驕吝であると最早観るに足らぬといはれて、驕吝の弊を戒められたものである。三島先生が「周公の多才にして、智能共に秀で、諸種の技芸にも通じ、皆精妙の域に達せられし人なるが、今この周公と同じ美才ある人にして、若しも己れの才を自負し、又は人の才を嫉み忌むが如きことあらば、其有する美才も用を為さず、独りその才のみならず、其の他のこと凡て観るに足るもの無しと。深く驕吝の弊を戒められたるなり」といはれてをるが、私もこれに少しの異議もないのである。驕慢と、吝嗇との如何に悪むべきかといふことを深く云はんが為に、周公の才を引合ひに出して、周公の才と等しい程の美才があつても、驕と吝とがあれば、少しも用をなさぬといはれたのである。即ち驕と吝とが如何に悪徳であるかといふことを、強くいはれたのである。
 驕と吝との中庸を守るといふことは中々六かしいことで、吝でないから良いと思つてをると非常に驕る癖があつたり、非常につつましやかで珍らしい人だと思つてゐると、余りに吝であつたりして、驕でもなく吝でもなく、といつたその中間の徳を積むといふことは、訳無いやうであるが、容易のことではない、でこれを非常に強く戒められたのである。
 殊に驕ることの如何に悪徳であるかは、大学の章句の中にも、「忠信以て之を得、驕泰以て之を失ふ」といふ言葉が終りの方にあるが、誠にその通りであつて、忠信にして、己れの真心を尽し、欺かず偽らざれば天下をも得ることができるが、若し反対に驕慢にして、泰肆の態度に流るるといふことになれば、また天下を失はねばならぬこととなる。一家のことでもその通りであつて、一生懸命苦しい時分から働いて一家を興しても、そこで安心して驕るといふやうでは、忽ち元の如く無一文とならねばならぬ。
 太閤秀吉の如き、尾張中村の一百姓の子として生れ、非常な英才を以て、遂に天下を一統するといふ例の無い傑業を遂げたのであるが、後には少し安心して遂に驕つたものであるから、子々孫々にまでその地位を保たせるといふ訳には行かなかった。これに反して徳川家康公の如きは、論語もよく読まれ儒学も大いに奨励された位であるから、この驕泰に陥らんことを極力戒められたやうである。それでこそよくあの長い間に亘つて、徳川の天下が栄えたといふことができるのである。
 何れにしても、この吝の悪徳はこれを避けねばならぬ。それが何程の美才を有する学者、実業家、政治家であらうとも、驕慢であり、吝嗇であつたならば、到底その終りを全うすることはできぬ。斯く孔子の戒められたことは尤も千万といはねばならぬ。

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デジタル版「実験論語処世談」(50) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.386-390
底本の記事タイトル:三〇三 竜門雑誌 第三八一号 大正九年二月 : 実験論語処世談(第四十九《(五十)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第381号(竜門社, 1920.02)
初出誌:『実業之世界』第17巻第2号(実業之世界社, 1920.02)