3. 各章句真意の理解
かくしょうくしんいのりかい
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そこで私が、この論語の章句の意味を理解する上について早くから一つの希望をもつてをるといふのは、各章句の言葉が発せられた場合場合の情勢気分を詳かにしたいといふことである。その場合々々の情勢気分が明かになれば、各章句の真意を理解することが非常に容易くなり、またその理解を徹底して思ひきつた断定もつき、論語に対する信念を一層強固にすることができて誠によいことであると思ふので、色々学者方にもお願ひして、調査研究して貰ふやうに努めてをるのであるが、何しろ少しも記録が残つてゐないので、この目的を達するには非常に骨が折れることだと思ふ。現に論語年譜を作つて下さつた文学博士林泰輔氏にお願ひした処が、努力すれば多少は分るやうになるかも知れぬが、到底思ふやうに充分結構なものはできないといはれてをる。
又、今現に北京に行つてゐる学者で諸橋轍次といふ人は、工業学校の教員で色々の学問の出来る人であるが、漢学も優れてをられるのでこの人にもかういふ話をしてお願ひしてあるのであるが、その人の最近の手紙によつて見ると、何しろ旧時代の記録は少しも残つてゐないので、さういふことは到底六かしいといつてをられる、誠に残念のことである。
私は何とかして各章句の発せられた原因とか、その場合の有様、歴史等に就いて詳しく取調べて纏つたものとしたいと思つてをるのであるが、今述べたやうに少しも材料がないので、遺憾とも残念の限りである。さういふ工合で十分歴史を明かにすることができぬので、今次に出て来る章句の如きも、前後と何等の連絡のないものが突然と示されてあるので、甚だ解釈の明瞭を欠くことを恐れるのである。
- デジタル版「実験論語処世談」(50) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.386-390
底本の記事タイトル:三〇三 竜門雑誌 第三八一号 大正九年二月 : 実験論語処世談(第四十九《(五十)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第381号(竜門社, 1920.02)
初出誌:『実業之世界』第17巻第2号(実業之世界社, 1920.02)