デジタル版「実験論語処世談」(50) / 渋沢栄一

2. 一見矛盾の感

いっけんむじゅんのかん

(50)-2

さういふ場合は屡々あるので、例へば管仲の如きも、ある場合には非常に称賛されるかと思ふと他の場合に於いて甚しく非難されることがあるのである。即ち憲問第十四の「子路曰く、桓公、公子糾を殺す。召忽は之に死し、管仲は死せず。曰く、未だ仁ならざるかと。子曰く桓公諸侯を九合するに兵車を以てせざるは管仲の力なり。其仁に如かんや、其仁に如かんや」と。又「子貢曰く、管仲は仁者に非ざるか、桓公公子糾を殺すに死すること能はず。又之を相くと。子曰く、管仲桓公を相けて諸侯に覇とし、一たび天下を匡して民今に至るまで其の賜を受く。管仲微《な》かりせば、吾其れ髪を被り袵を左にせん。豈匹夫匹婦の諒を為し、自ら溝瀆に頸れて、之を知らるる莫きが如くならんやと。」以上二章の如きは、何れも管仲の仁であり賢であることを称賛されたものである。然るに溯つて八佾第三を見ると、「子曰く、管仲の器は小なるかな。或人曰く、管仲は倹なるか。曰く、管氏に三帰あり。官事摂せず。焉んぞ倹なることを得ん。然らば則ち管仲は礼を知れるか。曰、邦君樹して門を塞げば、管氏も亦樹して門を塞ぎ、邦君両君の好を為すに反坫あり。管氏にして礼を知らば孰れか礼を知らざらんや」と、酷く管仲の器量の小なることを論じて非難されてをる。之等の両三章を比較して見ると、果して何れが孔子の真意であるか了解に苦むのである。固より之等はその場合々々に臨んで発せられた言葉で、その場合の情勢がよく分れば少しも疑義を抱く要はないのであるが、之れが詳かにされない為に、一見した所では甚しき矛盾を感ずるのである。
 又或る時、孔子が子路、曾晳、冉有、公西華の四人を呼んで各自思ひ思ひの志望を聞かれた時、子路、冉有、公西華の三人は、或は国を治めるとか、或は家を治めるとか、人を支配するとかいつたやうなことを熱心に主張したのであるが、独り曾晳丈けは始終瑟を鼓してをつて、一向何事とも語らうとはせぬ。そこで孔子がたつて遠慮なく語れといはれた時、曾晳の曰く、「莫春には春服既に成り、冠者五六人、童子六七人、沂に浴し、舞雩に風し、詠じて帰らん」と答へたのである。所が孔子はこれを非常に喜ばれて「吾は点(曾晳の名)に与みせん」といはれ、天下国家を一生懸命論じた前三者を哂はれたといふことである。
 これ等は他の多くの章句から推して考へると、甚だ理解し難いやうにも思へるが、丁度この頃世間の多くの人が、或は労働問題であるとか、或はデモクラシーであるとか、間がな暇さへあれば喧しく論じて少しもその身にゆつたりとした余裕綽々たる気分を備へてゐないことを、決して大を為す所以でないとして哂はれ、却て曾晳の如く、天下国家の事は一言もいはずして、沂に浴し、舞雩に風し、詠じて帰らんといふやうな気分を称讃されたのである。

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キーワード
一見, 矛盾,
論語章句
【八佾第三】 子曰、管仲之器、小哉。或曰、管仲倹乎。曰、管氏有三帰。官事不摂。焉得倹。然則管仲知礼乎。曰、邦君樹塞門。管氏亦樹塞門。邦君為両君之好、有反坫。管氏亦有反坫。管氏而知礼、孰不知礼。
【先進第十一】 子路・曾晳・冉有・公西華侍坐。子曰、以吾一日長乎爾、毋吾以也。居則曰、不吾知也。如或知爾、則何以哉。子路率爾而対曰、千乗之国、摂乎大国之間、加之以師旅、因之以饑饉、由也為之、比及三年、可使有勇且知方也。夫子哂之。求、爾何如。対曰、方六七十、如五六十、求也為之、比及三年、可使足民。如其礼楽、以俟君子。赤、爾何如。対曰、非曰能之、願学焉。宗廟之事、如会同、端章甫、願為小相焉。点、爾何如。鼓瑟希。鏗爾舎瑟而作、対曰、異乎三子者之撰。子曰、何傷乎。亦各言其志也。曰、莫春者、春服既成、冠者五六人、童子六七人、浴乎沂、風乎舞雩、詠而帰。夫子喟然歎曰、吾与点也。三子者出。曾晳後。曾晳曰、夫三子者之言、何如。子曰、亦各言其志也已矣。曰、夫子何哂由也。曰、為国以礼。其言不譲。是故哂之。唯求則非邦也与。安見方六七十、如五六十、而非邦也者。唯赤則非邦也与。宗廟会同、非諸侯而何。赤也為之小、孰能為之大。
【憲問第十四】 子路曰、桓公殺公子糾。召忽死之。管仲不死。曰、未仁乎。子曰、桓公九合諸侯、不以兵車、管仲之力也。如其仁。如其仁。
【憲問第十四】 子貢曰、管仲非仁者与。桓公殺公子糾、不能死。又相之。子曰、管仲相桓公、覇諸侯、一匡天下。民到于今受其賜。微管仲、吾其被髪左衽矣。豈若匹夫匹婦之為諒也、自経於溝瀆、而莫之知也。
デジタル版「実験論語処世談」(50) / 渋沢栄一
底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.386-390
底本の記事タイトル:三〇三 竜門雑誌 第三八一号 大正九年二月 : 実験論語処世談(第四十九《(五十)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第381号(竜門社, 1920.02)
初出誌:『実業之世界』第17巻第2号(実業之世界社, 1920.02)