デジタル版「実験論語処世談」[52c](補遺) / 渋沢栄一

3. 光陰は流水の如く逝くものは還らず

こういんはりゅうすいのごとくゆくものはかえらず

[52c]-3

子在川上曰。逝者如斯夫。不舎昼夜。【子罕第九】
(子川の上に在りて曰く。逝く者は斯の如きかな。昼夜を舎めず。)
 此の章句は、文字の通り、人に時を惜み学を勉むる事を勧められたのであつて、孔子が曾て川の辺りに立つて水の流るゝを観つつ弟子を顧みて言はれるには、凡て逝く者は此の川の水の流るゝが如く、昼となく夜となく流れ去つて少しも休むことがないが、光陰も亦之れと同じく一度去つては再び帰つて来ない。されば学に志す者は、一寸の光陰をも惜しみて勉強しなければ、後に悔ゆるも及ばないと訓戒されたのである。朱子は此の章を以て道体を説いたものであると説いて居るけれども、之れは寧ろ光陰を説かれたのであつて、水の流れを見て孔子が人生観、社会観を述べられたと見るのが正しいと思ふ。
 故三島先生も亦光陰を説かれたものであると言はれて居るが、然し解釈のしやうによつては、朱子の解釈も亦必ずしも間違つて居るとも言へない。且つ場合に依つてはかう解釈しても差支なからうと思ふ。

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デジタル版「実験論語処世談」[52c](補遺) / 渋沢栄一
底本(初出誌):『実業之世界』第18巻第2号(実業之世界社, 1921.02)p.24-27
底本の記事タイトル:実験論語処世談 第九十四回 実行の伴はぬ現代人 / 子爵渋沢栄一