デジタル版「実験論語処世談」[52c](補遺) / 渋沢栄一

5. 利を好む者はあれど徳を好む者は尠なし

りをこのむものはあれどとくをこのむものはすくなし

[52c]-5

 一体道徳といふものは、他人の為めに行ふに非ずして、自分の真情より発するのでなければ、道も徳も価値がない。孔子が当時の道徳の頽廃を歎ぜられたのは至極尤もであるが、道徳を色に譬へたのは聊か穏当でないとも思はれるけれども史記の伝ふるが如く、霊公が夫人南子に溺れて道徳を顧みぬのを歎ぜられて此の言をなしたとすれば、敢て穏当を欠くと言ふ事も出来ない。例へば食に饑ゑた時、其の空腹を満したいと思ふのは、誠心から出る偽りのない要求である、之と同様に、青年が美人を愛するの情は、衷心より出づるのであるから、之れを仮りて喩へられたのである。
 私は本年八十三の老人であるが、種々の事業や其他の利益の伴ふ問題について、或は斯くしたいとか、恁うしたならば怎うであるかといふ様な相談を打ち込んで来る人が、殆んと毎日の如く、朝早くから夜遅くまで訪ねて来る。斯くの如く現代の人は、物質を好むことは、空腹に饑を訴ふるに等しいものがある様に思はれる。之れは現代を通じて一般人の懐いて居る思想であり、傾向ではあるまいか。されば私は此の場合寧ろ此の章句を現代に当て嵌めて、『吾れ未だ徳を好むこと利を好むが如き者を見ず』と言ひ度い。此の方が、最も道徳の頽れて物質万能に傾きつゝある現代に適切であると思ふ。
 吾々が此世に共存して居る以上は、誰でも自分一人で生て行けるものではない。どうしても相寄り相援けて行かなければならぬ。其所に道徳の必要があるのである。されば私は、只利にのみ奔る現代人に、切に反省を促し度いと思ふ。

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デジタル版「実験論語処世談」[52c](補遺) / 渋沢栄一
底本(初出誌):『実業之世界』第18巻第2号(実業之世界社, 1921.02)p.24-27
底本の記事タイトル:実験論語処世談 第九十四回 実行の伴はぬ現代人 / 子爵渋沢栄一