デジタル版「実験論語処世談」[55a](補遺) / 渋沢栄一

2. ワシントンと徳川家康

わしんとんととくがわいえやす

[55a]-2

 凡て人間といふものは、知や有ばかりでは不可ぬ。知慧のある人勇気のある人、素より結構ではあるが、知、勇は性格上の一部分であつて、之れを以て完き人といふ事は出来ない[。]仁と兼ね備へて始めて人間としての価値があるのである。つまり、仁が其の根本なのであるが、現代の人々の中には自ら仁徳を備へて憂ふることのない人も居るけれどもかういふ人には知、勇が欠けてゐる。尤も、古来の幾多の英雄、豪傑、偉人の性行を調べて見ても、完全に知仁勇の三徳を備へた人といふのは殆んどない。多くは一方に偏して智があると仁に欠けて居るとか、仁があると勇がないとか、勇があるけれども智が足りないとか、兎角此の三徳の能く兼ね備つた人といふものは尠い。中には、智があるけれども、所謂悪賢いとか勇があるけれども、夫れは蛮勇に過ぎるといふ人もある。
 然らば、如何なる人が知仁勇兼備の人であるかといふに、現代に於ても、其の権衡はとれてゐないにしても先づ三徳を備へてゐると言ひ得る人が幾分はあるに相違ないが、差当つて此人ならば亀鑑とするに足ると推称するやうな人は見当らない。私の見る処では、アメリカ独立の初代大統領ワシントンなどは、先づ三徳兼備の人と言ひ得よう。又た我国に之を求むれば、多少の欠点はあつたけれども、徳川家康などは比較的此の徳を備へて居つた人のやうに思ふ。彼のナポレオン[、]ペートル、アレキサンダーの如き、何れも非凡卓越の英傑であつたには相違ないが、悉く一方に偏して居つた事は拒まれない。英雄とか豪傑の歴史を繰つて見ると如何にも華々しい処があるけれども、知仁勇の秤にかけて見ると、其の大部分は偏重してゐるのを認める。されば夫等の人々の全部を無条件で推称する事は出来ないと思ふ。

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ワシントン, 徳川家康
デジタル版「実験論語処世談」[55a](補遺) / 渋沢栄一
底本(初出誌):『実業之世界』第18巻第7号(実業之世界社, 1921.07)p.54-56
底本の記事タイトル:実験論語処世談 (第九十八回) / 子爵渋沢栄一