1. 孔子三節に分つて仁を説く
こうしさんせつにわかってじんをとく
(60)-1
顔淵問仁。子曰。克己復礼為仁。一日克己復礼。天下帰仁焉。為仁由己。而由人乎哉。顔淵曰。請問其目。子曰。非礼勿視。非礼勿聴非礼勿言。非礼勿動。顔淵曰。回雖不敏。請事斯語矣。【顔淵第十二】
(顔淵仁を問ふ。子曰く。己に克ちて礼に復るを仁為す。一日己に克ち礼に復れば、天下仁に帰す。仁を為すは己に由る。人に由らんや。顔淵曰く。其の目を請ひ問ふ。子曰く。非礼視ること勿れ、非礼聴くこと勿れ、非礼言ふこと勿れ、非礼動くこと勿れ。顔淵曰く回不敏と雖も、請ふ斯の語を事とせん。)
此の章は孔子の教訓の内でも最も重きを置かれてある仁に就いて、孔門第一の高弟である顔淵が質問したのであるから、孔子も力を入れて叮嚀に之れを説かれて居る。御承知の如く孔子には沢山の門弟があつたが、其の中でも勝れた門弟が七十四人あつた。其の七十四人中に於ても特に群を抜いて居つたのが、徳行には顔淵、閔子騫、冉伯牛、仲弓、言語には宰我、子貢、政事には冉有、季路、文学には子游、子夏、と孔子が挙げて居る。所謂孔門の十哲であるが、顔淵は十哲中の首席にある最も特出した高弟で、孔子より歳は若いが孔子に亜ぐと称され、亜聖と言はれた程の人物である。尤も茲に挙げられた孔子の十哲以外にも偉い門人が沢山にある。曾子の如き、子張の如き即ちそれであつて、殊に曾子の如きは孔子の門弟中最も傑出した人物であるが是等の諸子が十哲中に加はらなかつたのは、ずつと後の弟子であつた為に外ならぬのである。(顔淵仁を問ふ。子曰く。己に克ちて礼に復るを仁為す。一日己に克ち礼に復れば、天下仁に帰す。仁を為すは己に由る。人に由らんや。顔淵曰く。其の目を請ひ問ふ。子曰く。非礼視ること勿れ、非礼聴くこと勿れ、非礼言ふこと勿れ、非礼動くこと勿れ。顔淵曰く回不敏と雖も、請ふ斯の語を事とせん。)
さて顔淵の仁に就て質問をしたのに対して、孔子は之れを三節に分けて説かれた。即ち「克己復礼為仁」までが一節。「一日克己復礼。天下帰仁焉」までが二節。「為仁由己、而由人乎哉」が三節であつて第一節に於て仁の体用を説き、第二節に於て仁の効能を言ひ、第三節に於て仁を行ふに就ての工夫を述べられたのである。
- デジタル版「実験論語処世談」(60) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.492-495
底本の記事タイトル:三四〇 竜門雑誌 第四一三号 大正一一年一〇月 : 実験論語処世談(五十八《(六十)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第413号(竜門社, 1922.10)
初出誌:『実業之世界』第19巻第4号(実業之世界社, 1922.04)