3. 孔子の説く仁は実際生活に伴ふ
こうしのとくじんはじっさいせいかつにともなう
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人の世に立つに於て責任の重い人、軽い人、身柄の高い人、低い人の差別なく有ゆる事柄に於て誰でも七情の発動が伴はない訳には行かない。甚だしきに至つては、自分の都合によつて白をも黒といふ人もある。政治家の中などには往々かういふ人を見受ける。又実業家にしても、商売上の懸引を考へて、平然として嘘を言ふ人もある。之れは大に慎まなければならぬ事柄である。孔子の説く所は之れを大きくすれば天下国家を治むるの道であり、之れを小にしては一身一家を治むるの道である。されば徹頭徹尾、人間の実際生活に密着したる極めて実際的な教へであつて、誰でも行はなければならぬ生きた教訓なのである。然るに世間の所謂学者は之れを死物にして仕舞つて居る。即ち学者は孔子の説く仁を単なる学理的に解釈して、実際生活と切離してゐるが、それは全く間違ひである。孔子の教へは学問と実行とが伴うて始めて真に価値あるものであつて、然らざれば死物である。之れに気付かれないのは遺憾である。私は此点に関して切に反省を促したいと思ふ。
- デジタル版「実験論語処世談」(60) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.492-495
底本の記事タイトル:三四〇 竜門雑誌 第四一三号 大正一一年一〇月 : 実験論語処世談(五十八《(六十)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第413号(竜門社, 1922.10)
初出誌:『実業之世界』第19巻第4号(実業之世界社, 1922.04)