2. 知者は言ふべからざるに言はず
ちしゃはいうべからざるにいわず
(69)-2
子曰。可与言。而不与之言。失人。不可与言。而与之言。失言。知者不失人。亦不失言。【衛霊公第十五】
(子曰く、与に言ふべく、而るに之れを与に言はざれば人を失ふ。与に言ふべからず、而るに之れと与に言はば言を失ふ。知者は人を失はず、亦言を失はず。)
本章は、知者は能く人を見て言ふことを言つたと云ふのである。(子曰く、与に言ふべく、而るに之れを与に言はざれば人を失ふ。与に言ふべからず、而るに之れと与に言はば言を失ふ。知者は人を失はず、亦言を失はず。)
与に云ふべき人であるに、言はないならば人の信を得ない。与に云ふべき人でないのに言へば言を失ふのである。然るに知者は能く人を見るから、之れは言ふべき人であるか、言ふべからざる人であるかを悟るから、言ふべき人には言ひ、言ふべからざる人には言はないから人を失はなければ、言葉をも失することがない。
この章句は、実に奥床しい。凡て人に対してはかうあり度いと思つて居る。言ふべからざる人に言つたり、言ふべき人に言はなかつたりすることは、決してその信を得る所以でない。併し人には自己の名を売る為に能く言ふ人があるが、之れは感心せぬが、今日はさうでない人の稀なのは惜しいものと思ふ。
共に話してよい人には話をし、話をして悪い人には話をしないと云ふことは、判り切つたことであるが、実地になると仲々六ケしいものである。私なども、言ふべからざる時に言つたりするが、言ふ時には言ふ。何人でも私を訪ねて来た者には会ふので、会はずに帰すと云ふのはいかぬと思つて居る。
処が中には主人に言はないで帰したり、又は会うても話が違うて居つたりして不満足に感じて帰るものもある。ある人などは下らん人などに会ふから馬鹿だなどと云ふが、会ふのがよいと思ふ。唯仲々には帰らんで困るやうな人もある。
此の章句などは甚だ面白い言葉であつて、孔子の甘い処であると思ふ。物軟かに言ふ所などは他に一寸見られない言ひ表はし方である。
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- 【衛霊公第十五】 子曰、可与言、而不与之言、失人。不可与言、而与之言、失言。知者不失人。亦不失言。
- デジタル版「実験論語処世談」(69) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.623-626
底本の記事タイトル:三七四 竜門雑誌 第四三四号 大正一三年一一月 : 青淵先生説話集 : 実験論語処世談(第六十七《(九)》回) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第434号(竜門社, 1924.11)
初出誌:『実業之世界』第21巻第10号(実業之世界社, 1924.10)