4. 孔子の答弁は王手を狙ふ
こうしのとうべんはおうてをねらう
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孔夫子は此の質問に接せらるるや、魯の人であつて礼の事には疎い筈の林放が、斯る問を発したのを多とし、其質問の頗る要領を得て居るのに甚く感心せられ、先づ「大なる哉問や」と林放を褒めて置いてそれから其質問に答へられたのであるが、孔夫子の答弁は何時でも細かい事を並べてクドクドと説かれる如き繁に陥らず、言簡にして要領を得、巧に意を尽してしまはれる所に妙味がある。
林放が礼の本を尋ねたるに対し答へられたるものが矢張それで、礼の本とは斯く斯くのものであるとか、斯うあらねばならぬ筈のものだとかと、クドクドしく説き立てたら、問題が根本的のもので大きくある丈けに一朝一夕で尽きず、際限が無くなつてしまふ。是に於てか孔夫子は、言を礼の本の方に及ぼすのを避けられて、特に之に言及せず礼の末に走つた弊を捉へて指摘せられ、これによつて自然と礼の本の何であるかを問ふ者に理解せしめられるやうにしたのである。これが所謂気の利いた答弁と申すものである。孔夫子は聖人であらせられたが、その言論には常に気の利いた所のあつたもので、有子が「学而」篇に於て「孝弟也者。其為仁本与」(孝弟なる者は其れ仁を為すの本か)」などと道破した所は、孔夫子の此の気の利いた弁論振りを学ばれた結果である。
- デジタル版「実験論語処世談」(9) / 渋沢栄一
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底本:『渋沢栄一伝記資料』別巻第7(渋沢青淵記念財団竜門社, 1969.05)p.10-13
底本の記事タイトル:二〇四 竜門雑誌 第三三三号 大正五年二月 : 実験論語処世談(九) / 青淵先生
底本の親本:『竜門雑誌』第333号(竜門社, 1916.02)
初出誌:『実業之世界』第12巻第19号(実業之世界社, 1915.10.01)